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旧市探訪

「一旦家に戻って、着古したような服に着替えた方がいいよ。畑仕事する時に着るようなやつとか」
「どうして?」
「普通の恰好だと目立つから」
「畑仕事する時も特別な服を着る訳じゃないよ」
「うーん。棄てるようなのない?」
「あるかなあ」
「じゃあ、大きいと思うけどぼくの服を着ていくか。もう着ないのが何処かにあるだろうから」
「そんなに物騒なの」
「そんなことないよ。ただ、彼処のひと達は裕福じゃないからね、お金をたかってきたりはする。殺人事件なんかは起きないよ。どちらかって云うと、東一区の方が危ない。彼処はチンピラが多くて麻薬の密売が横行してるし、午間でも強盗や殺人事件が起こるし、怪しげな輸入代理店も何軒かある」
「そうなんだ、一区っていったらこの近くじゃない」
「この辺りはそんなことないよ。なんでか知らないけど、彼処の地域だけ別世界みたいにいきなり犯罪件数が増えるんだよ。火事も多いし。……これ着てみて」
「ほんとによれよれ。しかも丸めてあったから皺くちゃ」
「棄てようと思ってたやつだから。まさか取ってあるとは思わなかった」
「きれいに整頓されてるのにねえ。慥かに大きいな。普通にしてると気づかないけど、紘君、結構大柄なんだ」
「大柄ってほどじゃないけど、影郎よりは背もあるし、体重だってだいぶあるよ」
「どれくらい?」
「去年の健康診断の時は、一七七センチで五十七キロだった」
「そんなに背があるんだ、左人志と同じくらいじゃん」
「左人志さんもこれくらいなの? もうちょっと大柄なひとをイメージしてた」
「割と細い方だよ、背もジャンボマックスみたいではない」
「ジャンボマックスって……。影郎が小柄だから、プロレスラーみたいだとは思ってなかったけど」
「こんなん」
「ああ、かっこいいじゃない」
「見た目はこれだけど、彼女連れてきたことが一度もないんだよね。エッチしたことあるのかな」
「……幾つだっけ」
「二十八」
「一流大学出てて銀行になんか勤めてたら、普通経験あるんじゃない?」
「大学行こうが官公庁に勤めようが、もてない奴は風俗行かない限り一生童貞だよ」
「そりゃそうだろうけど、この顔なら女のひとが放っておかないよ」
「まあね。性格もいいし」
「影郎の方がよっぽど女性経験なんかなさそうに見えるけど、遊び廻ってたらしいから当然あるよね」
「そりゃあもう、ひとの倍以上」
「すごいねえ、羨ましくないけど」
「なんで?」
「自分の経験で満足してる」
「足腰が立たなくなるまでやったとか」
「……ぼくはどれにしようかな」
「なんかこう、しれっと話を変えるね」
「そういう話は苦手」
「この体つきなら、相当喜ばせることが出来る筈だけど」
「くすぐったい。背中触らないで」
「此処が性感帯ですか」
「やめなさい」
「足踏むことないじゃん」
「手が塞がってるから」
「足のサイズは幾つ?」
「二十六」
「ふーん。左人志が二十六・五だからそれくらいが普通なのか」
「影郎は?」
「二十五」
「まあ、普通だね」
「全部普通だよ」
「そうかなあ」

 ………………。

「車で行くの?」
「この間と昨日は、もしかしたら出先で呑むかも知れないと思ったから電車で行ったけど、今日は先づ呑んだりしないだろうから」
「一升瓶抱えてた方が搦まれなくていいんじゃない?」
「くだ巻いてるひとなんか居ないよ」
「よく判んないとこだなあ。……このアパート、地下に駐車場があって便利だね」
「うん。ダストシュートもあるし、もう一階下には貸し倉庫もある」
「アメリカのアパートみたい」
「ああ、そんな感じ。柵で囲ったコンクリート張りの処で、全然きれいじゃないけど。慥か月五千円で借りられるんじゃなかったかな」
「紘君は借りてないの?」
「荷物そんなにないから必要ない」
「あんまりものがないよね」
「余計なものは買わないし、要らなくなったら棄てるから」
「女の子はものが多くてなかなか棄てない。ひとりで暮らしてる部屋が雑誌みたいにきれいだったことなんか一度もなかった」
「そうだね、細々したものがたくさんある」
「一度、塵芥溜めみたいな処に住んでる娘とつき合ったことがあって、とてもじゃないけどそこでやる気になれなくて、ホテル行った」
「ああ、そう」
「何、そのしらっとした云い方は」
「だから、そういう話は苦手だって何度も云ってるよね」
「この程度で駄目なの? 普段、ひとと何喋ってるの」
「何って、普通のこと話してるよ。影郎がそっち方面のことを云いすぎなんだよ」
「云いすぎってことはないんじゃない? 男同士で喋ってると、だいたいこんな会話になるよ」
「中高生だったらね」
「幾つになってもそうだって。紘君、枯れ木みたい」
「失礼な、充分瑞々しいよ」
「見た目はね。中身はぱさぱさ」
「車から落とすよ」
「走ってる車から落ちたら死んじゃうよ」
「影郎は殺しても死にそうにない」
「死ぬよ、生き物なんだから」
「地球外生物なんじゃない?」
「苦手なことを話しただけでそこまで云う?」
「ああいうことを云わなくても、何処となく人間離れしてる」
「人間離れって……」

 …………………。

「彼処が話した屋台通り」
「ああ、ほんとだ。お祭りみたい。神社かお寺があるの?」
「旧市にはそういった処はないみたい。墓も含めて新市に移築したんだって」
「なんか気の毒だなあ」
「気にしてないみたいだよ、信仰心があんまりないんじゃないかな」
「生活するのに必死だと余計なことは考えてられないのかな」
「どんな状況でも宗教は発生するけどね」
「本当に普通の屋台だ。(こういう食材は何処から仕入れるんだろう)」
「(新市や川向こうの市のスーパーなんかから盗んで来るらしい)」
「そうなんだ。値段は変わらないね」
「新市のひともよく来るからね。見てると判るよ、明らかに違うから」
「なんというか、中華街とは違った熱気があるなあ。淀んでるというか……」
「生活臭が濃いからかな。でも、中華街も生活臭はあったな」
「外国って訳じゃないけど、雰囲気がぜんぜん違う」
「人種が混ざってるからね。不法滞在者が多いし、混血のひとも多い」
「はあ、なるほど。此処で何か買ったことある?」
「ないよ。これといって慾しいものがなかったし、そんなにじっくり歩き廻った訳じゃないから」
「面白い街なのに」
「休憩時間にちらっと来ただけだからね」
「休憩時間に街娼が居る処にも行ったの?」
「彼処は車で通っただけ」
「娼婦のドライブスルーはなかったの? ……また足踏んだ」
「そういうことを云う方が悪い」
「ほんとに潔癖だなあ」
「何か慾しいものある?」
「(どう見ても不衛生だから要らない)」
「(だよね)」
「通りは煉瓦で趣きはあるね」
「元は此処が中心地だったから。詳しく知りたければセンターにたくさん揃ってるよ。普通は読めないようなものまである。その殆どがうちから出版されたものだけど、流通してないし」
「なんで? 売れるんじゃないかな」
「情報管理局に差し止められちゃうんじゃないかな。インターネットだと、此処の情報を詳しく掲載したサイトや書き込みはすぐに削除されるからね。タブーなんだよ」
「どうしてだろ、普通の場所じゃない」
「まあ、そうなんだけど、犯罪者が多くて今では市制もまったく関与してないし、此処のひと達は苗字もないしね」
「そんなことって有り得るの?」
「北欧やアイスランドのひとは苗字がないよ」
「へえ、そうなんだ。不便じゃないのかな」
「名前だってもの凄く限られてるらしい。誰々の息子、娘って呼び方をするんだって」
「ふうん。捨て子だったらどうするんだろう」
「そういう場合は普通に命名するんじゃない?」
「車が一台もない」
「あんな風に屋台が犇めき合ってたら、自転車かバイクくらいしか通れないよ」
「電車もないのにどうやって移動するのかな」
「この街の範囲内なら歩きか自転車で何処でも行けるんじゃないかな」
「どれくらいの大きさなの」
「だいたい中央区ふたつ分くらいかな」
「大きいじゃん。端から端まで歩くことは出来ないよ」
「近所にしか行かないんじゃないかな。……ほら、彼処に居るひと、此処の人間じゃない」
「どれ、あのひと? 判んないなあ。何処が違うの」
「なんとなく雰囲気が。此処のひとはもっと無気力で覇気がない。全員がそうって訳じゃないけど」
「屋台のひとは威勢が良かったよ」
「あれは商売だからね。こんな奥まで来たことなかったな、もう煉瓦敷じゃない」
「いきなり襤褸襤褸のアスファルトになるんだね」
「誰も舗装し直さないからね」
「古びてるけど普通の店もある」
「電気は通ってるから」
「自家発電なのかな」
「実は新市と川向こうの市から供給されてるらしい。瓦斯も水道も。ただ、電話だけは通じないんだけどね」
「あ、ほんとだ。アンテナが一本も立ってない」
「何かあっても警察なんかないし、救急車も来てくれないよ」
「無法地帯なんだ」
「うん。自分で何かしない限り、何かが起こることはないと思うけど」
「そんな感じだね、屋台がなくなったら静かになったし」
「電気を無駄に使うことをしないからね。街の騒音は殆ど電気的なものだから」
「自動販売機があったから驚いた」
「あんな街頭貯金箱みたいなものは、いつでも持って行って下さいって云ってるようなものだから置いておけないからね。外国には先づないらしいし。建物の内のちゃんと警備員か監視カメラのある処にしかない」
「昔はそこら中にあったんでしょ」
「うん、でも外国の硬貨を使って不正に商品を取り出したり、機械ごと持って行っちゃう事件が頻発したから、道端に設置することはなくなった」
「どうやってあんな重いものを持って行ったの?」
「頑丈な鎖でぐるぐる巻きにして、馬力のある車で引っ張るの」
「そんなことしてたら通報されちゃうんじゃない?」
「夜中に数人でやって、さっさと逃げて行っちゃうから大丈夫だったみたい」
「そこまでして利益はあったのかな。中に入ってるのは小銭でしょ」
「お札もあっただろうし、一台だけじゃないからね」
「あの店はなんだろう」
「昨日の荒物屋みたいだけど……」
「ああ、ほんとだ。雑貨屋っていうのかな。値段が恐ろしく安い。(盗品かな)」
「(そうかもね。これはもう、卸値だなあ)」
「商売やってるひと以外は何してるんだろう」
「何もしてないみたい」
「それで生活して行けるのかなあ」
「影郎だって働いてないじゃない」
「親が仕送りしてくるし、左人志が働いてるもん」
「なんで自分で働かないの?」
「中卒だとなかなか働き口がないんだよね」
「うちは学歴を問わないよ。前の社長なんか学校に行ってないし」
「そうなの? なんで」
「体がもの凄く弱かったし、アルビノだから父親が通わせなかったんだって」
「アルビノのひとって見たことないけど、どんな感じなの」
「髪の毛も肌も真っ白で、目が光りに弱いからいつもサングラスかけてた。本社の電灯が紫外線を含まない部屋では外してたけど、淡いブルーグレーの瞳で、凄くきれいだったな。小柄なひとで、気さくで優しいんだけど、妙な威圧感のあるひとだった。それでも、大企業の社長って感じはまったくなかったな」
「小柄って、どれくらい?」
「一六〇センチちょっとしかなかったんじゃないかな。痩せて華奢だったよ」
「へえ、おれより低いんだ」
「ぼくはそんなに会話を交わしたことはなかったけど、木下君と喋ってるのを聞いてたら彼と話し方が殆ど変わらなくてね、可笑しかった」
「そんな偉いひとがリョウ君みたいな話し方してたの? リョウ君、かなり言葉遣い悪いよ」
「あんな感じだったよ。うるせえとか巫山戯んじゃねえとか云ってた」
「誰にでも?」
「うん。聞くところに依ると、重役会議でもそういう喋り方をしてたみたい」
「リョウ君がかなりの変人だって云ってたけど、本当にそうだったんだ」
「いいひとだったけどね」
「会ってみたかったなあ」
「影郎だったら気に入られたんじゃないかな」
「どうだろ、そんな凄いひととちゃんと話せるかどうか自信ない」
「まったく堅苦しくする必要のないひとだったから大丈夫だよ。センターの職員は全員、あのひとのことを慕ってた。今の社長はお兄さんなんだけど、ちょっと生真面目なひとで性格がまったく違うからね」
「そのひとにも気に入られてるってリョウ君が云ってたけど」
「そうなんだよね。前の社長みたいに映画を勧めたりはしないらしいけど、同じくらい映画好きらしいし、本社に呼び出されて何をしてるのか訊いてみたら、本当に仕事の用件の時もあるけど、大抵はお茶飲んで雑談してるだけらしい」
「はあ、リョウ君の何処がそんなに気に入られるんだろ」
「まあ、話題が豊富で面白いから」
「面白いもんねえ。あの顔じゃなかったら意外性はないんだけど」
「冷たくて恐そうだからね」
「ライブハウスではじめて見た時は近寄り難い感じって思ったけど、ステージでしょうもないことぶつぶつ云ってて、面白いひとだなあって思って、あとで話し掛けたら予想以上に変だった。自己紹介したら髪の毛ぐしゃぐしゃ掻き廻して撫でるし、肩は抱くし、顔近づけて喋るし、ゲイなのかと思ったくらい。よく見たら誰にでもそうしてたけど」
「慥かに木下君はよくひとに触るね。ぼくにも慣れてきたら両手で顔を挟んで、変な顔ですねって云うから、もの凄い変人だと思ったよ。ステージでは何をぶつぶつ云ってたの」
「爪切るの忘れたとか、目が痒いとか頭が痒いとか、あの客の髪型変とか」
「思ったことを口に出しちゃうんだ。仕事してる時はそんなこと云わないんだけどなあ」
「そうなんだ、なんでだろ」
「集中力の違いかな」
「ライブやってる時の集中力は相当なもんだよ。でも、曲の合間には気が抜けるのかも知れないな」
「そうかもね。ぼくはライブハウスとかには行ったことがないからよく判らないけど、やっぱり演奏してる時のテンションはただ事じゃないと思うよ。……大通りの方に行ってみる?」
「街娼の居るとこ? ……やめとく。突っ込みまくって紘君に殺されるかも知れないから」
「この時間は居ないよ。でもまあ、行かない方がいいかな。殺しはしないけど、蹴り飛ばすかも知れないから」
「意外と凶暴だね」
「君が悪いの」

 ジャンボマックスとは。
プロレスラーではなく、『8時だよ!全員集合』に登場した着ぐるみの人形のことである。身長三メートルある。影郎が何故こんな古いものを影郎が知っていたかと謂うと、当然のことながら亮二が教えたのだ。映像が図書センターに所蔵されているので、草村も知っていた。

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