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あなたを許すこと

ひきこもりの兄がいる。

正しくは、「ひきこもりの兄だった」。ひきこもりの兄がいます、と話していたのは当時14歳の私だった。

私には兄が二人いて、年の近い方の兄がそうだった。元々口数が少なく、おとなしい人だった。けれどなぜか運動神経が抜群に良く、学年でもずば抜けて足が速かった。

だから体育祭の時だけ、誇らしかった。「あれ私の兄ちゃんだよ」の人に言うのは、一年でその日だけだった。

兄は中学に入学してから、より一層言葉を発さなくなった。家でもずっと漫画を読んでいて、母に対する当たりもきつかった。
サッカー推薦で入った高校も、入学してすぐに辞めた。

対照的に、私は友人が多かった。勉強もできたし、正直異性からもモテた。
学校が好きだった。学校が好きだと言うと母が嬉しそうに笑う、その笑顔が好きだった。
だから私は、「過剰適応」に、「八方美人」に、なるべくしてなったのだと思う。



中学の時、地元のスーパーの裏で友達と学校帰りに話していると、「お」という声が聞こえて振り返った。

そこには、兄の同級生らしき見覚えのある先輩が自転車にまたがってこっちを向いていた。ふたりとも同じ高校の制服を着て、サッカーの鞄をかついでいた。

「あれ、妹じゃん」

片方が私を顎で示してそう言った時、もう一人がああ!と声を上げた。

「あいつ?猫とか殺してそうな奴?」

私は、隣にいる友人が、どうか聞いていないようにと願いながら黙ってその場を離れた。



一番上の兄は大阪へ進学していて、父が単身赴任だったので、残った三人で奇妙な生活を共にしていた。
ぐらぐらと、成り立っているようで成り立っていないアンバランスな生活だった。

高校生の私は、兄が昼間パソコンでアダルトサイトを見ていたことを告げ口しなかったし、兄も私が母の目を盗んで彼氏を部屋に連れ込んでいるのを見て見ぬふりしていた。

私と兄の会話がなくなった期間は、最終的には11年にも及んだ。



忘れられない出来事がある。地元の国立大に合格した私に、祖母がぽつりと言った。

「こないだね、歯医者さんの息子が、自分の妹を殺した事件があったじゃろ。おばあちゃん怖くなったよ。あんた達もそうなるんじゃないかって」

どうして自分の孫にそんなことが言えたのか、私には今でも分からないし、さすがにもう忘れたい。



大学に入学してすぐ、私は仲良くなった友人とルームシェアを始めた。
とにかく実家を出たかった。兄の部屋のドアが開くのが怖かった。

「あんた、お母さんを見捨てるん」

母が放った言葉を振り切って私は荷物をまとめた。
そうして母と兄を残して引っ越し、大学生活を満喫した。



時は流れて、私はたくさんの恋を知り、大切な一人に出会う。
その4つ上の男性と子供ができて、学生結婚をする。
両親は猛反対だったけれど、私は絶対にそれを手放したくなかった。

大きなおなかで卒論を書き、卒業してすぐの6月に出産した。



産後5日目、母子同室が始まった頃だった。
兄が病室に来た。突然のことに全身が硬直した。

何も言葉の出ない私に、兄は責めるような目で言った。

「なんか聞いたけど、その子、俺に顔が似とるけえ嫌って言よったらしいじゃん」

心臓が波打つ。喉に小石がたくさん敷き詰められているようだった。

出産翌日、眠る赤ちゃんを見て、祖母は私に「お兄ちゃんに似とるね」と言ったのだ。
私は顔をしかめて首をかしげた。そのことをなぜか兄本人が知っていた。

兄は、冷たい目で、「不愉快なんだけど」と言った。

繰り返すが産後5日目だ。そして帝王切開だった。母乳が出ないことにも悩んでいた。一番弱っていたときだった。断崖絶壁の端っこで、とどめの一言だった。

殺されるかもしれない。本気でそう思った。

2007年の殺人事件のニュースが蘇った。全身ががたがたと震え出した。

けれど兄は何か続けようとして、やめた。黙って病室を出た。


私は床に崩れ落ちた。懸命に手を伸ばし、震える指で、父に電話をかけた。

父の声を聴いた瞬間、声をあげて泣いた。父は飛んできてくれて私を抱きしめ、兄を呼び戻し、目の前で兄を突き飛ばした。
兄は大きな体を折り畳み、号泣しながら謝罪してきた。

生まれたばかりの息子を、そんな醜い光景の一部にさせたくなかった。



兄は翌日、ものすごい長文の手紙を渡してきた。
自分はお前と違って本当に駄目な人間で、何も上手くいかなくて、死んだ方がマシで、けれど本当に後悔しているから傷つけたことを許してほしいと書いてあった。

兄は知らない。私が元恋人に怪我をさせて両親がお金を払ったことも。東京の就職試験に落ちたことも。

兄の中での私は、優等生な私のままだった。



時は経ち、兄は家を出て遠く離れた地で就職した。そして年上の女性と縁があり、すぐに入籍したと聞かされた。

実家に戻ってきた時に、偶然、兄と顔を合わせた。14歳だった私は27歳になっていて、腕には二人目の子供を抱いていた。

ぴんと糸を引いたように、はりつめた空気が流れる。

「兄ちゃんと母さん達、結婚式で今度ハワイに行くことになったんよ」

母が言った時、隣の部屋から覗く父の心配そうな表情が視界をかすめた。

私は覚悟を決めた。

「そうなん。じゃあ今からユニクロ行く?」

兄は驚いた顔をした。相変わらず野暮ったい服を着ていた。

「結婚祝いに。何着でも買ってあげるよ。ユニクロなら」

私は笑ってみせた。兄もむず痒そうに笑った。
兄が笑った顔はこんなんだったっけな。私は上げた口角を保った。



子供ふたりを実家に預けて、兄とユニクロに行き、たくさん服を買った。
ダサくはない無難な組み合わせを、何パターンか教えてあげた。

実家まで送り、今度は子供をチャイルドシートに乗せて、私は運転席に再び乗り込んだ。

「ありがとう」と、なぜか父がそう言った。



車を走らせ、私は流れる音楽のボリュームを上げた。

これで良かったんだ。

胸の奥の薄い膜が震え始めるのを感じた。息を止めて耐える。

これで良かったんだ。

何度も繰り返した。涙がじわじわとこみあげてくる。

これで良かったんだ。

許さないといけなかったんだ。

さらに音楽のボリュームを上げる。明確に死にたいと思った。

何終わらせてんの。私にとっては、全然終わってないよ。

叫ぶ心に蓋をした。とにかく一直線に車を走らせる。
自宅への曲がり角なんてとっくに過ぎていた。

これで良かったんだ。

ハワイの話をしてきた母。ありがとうと言った父。
私は日差しに照らされた道の先を睨み付ける。光を、睨み付ける。

これで良かったんだ。

アクセルを強く踏み込む。踏み込んだ右足ではなく、左の膝が震えた。

これで良かったんだ。

嗚咽が止まらなかった。


恨みごとのひとつも言えなかった。誰にも。もしそんなことをすれば、両親はどれだけ悲しむだろう。
感情を殺して、私が笑わせて、兄が笑っていた。それで母も嬉しそうだった。父もそう。きっと祖母だってそれを望んでる。
だからこれで良かったんだ。

でも、あまりに報われない私が、あの病室でまだ泣いている。



音楽を大音量で流して車は走り続ける。

がんばれ。きっと今日が人生で一番つらい。ハンドルを握りしめて、そう言い聞かせる。

体育祭の光景が蘇る。音も温度も。

私は歯を食いしばった。

アンカーだった兄が走る。砂ぼこりが舞う。みんなが兄を見ている。
普段誰の目にも映らない兄が、声援の中で、走る。

ハンドルを握りしめる。

行け、と喉の奥で叫んだとき、張り出した胸がゴールテープを切った。

私は泣きながら大きく息を吐いた。


どうしてこんなに難しいのだろう。人を許すということは。


後部座席で子供が激しく泣いていた。私の代わりに声をあげて泣いていた。
唇を噛んで呼吸を整え、ハンドルを何度も握り直して、自宅へ道を引き返すように右に切る。



きっともう誰も覚えていない。覚えていても家族の誰も、一生、口には出さない。

二人の兄にそれぞれ子供が生まれ、私の両親にとって孫は5人になった。
子供が多くて幸せね、と正月に母は笑っていた。

幸せならそれでいい。それ以上のことはない。

ただ、人の幸せに形があるなら、それは平らなものではなくて、立体的なものだろうと思う。

そして見えない底の面の下に、誰かの殺したこころがある。

そんなことは、優しい私の両親には一生気づかないでいてほしい。



許すということは、デフォルトの機能じゃない。
とてもじゃないけど簡単にはできない。
だから、誰かを許せなくて恨み続けている人に、私は絶対に指を指さないと決めている。

私は今でも言い聞かせている。
あれは自分のためだったのだと。

兄のため、両親のためじゃない。
私は私のために自分を殺して、私のためにあの人を許したのだと。

優しくありたい。
あの瞬間だけでも優しくありたかったのだと。

そう言い聞かせなくとも6月が越えられるようになるには、まだあと少しだけ時間がかかる。

2019.06.03   ちゃこ

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ちゃこ

銀行員がnote描いてたらライターになりました。毎日更新の微炭酸エッセイ。心の健康を最優先。好きな話題は恋愛/育児/邦ロック。小説も書きます。一般人に聞くインタビュー連載【そのへんの一般人】始めました。あなたの朝の日課になりたい。あなたの夜を食べちゃいたい。

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コメント42件

mmmarikommさん
コメント嬉しいです…!本当にありがとうございます。許すって難しい。許すって普通できないことなんだよ、それを必死でしたんだよ、分かってよ、と心が叫ぶあの感覚は忘れられません。
先程ツイッターでたまたま見かけ、フォローさせていただきました。

境遇は違えど、私もずっと憎んでいた家族を許しました。その代わりに、同じ思いをしている人に向けて自分の体験を話す決意をしました。頭では許したと思っていますが、許した自分を認めてあげたいだけなのかなと思います。それでいいんだとも、思います。とても素晴らしい文章、そして貴重な体験の記しに勇気付けられました。ありがとうございます。
ちゃこさん、スキをありがとうございます!

読ませていただきました。書きながらも涙が溢れる、ちゃこさんのご様子が浮かんできます。おひとりで呑みこむ姿から、お子さまは悲しみを感じとってしまった。

ゆるすとはゆるめることだ。師と仰ぐ方からそう学びました。

心を、体を、思いを、ゆるめるだけでいい。認める必要も受け入れる必要も、まして共感する必要などない。ただ、ゆるめなさい。それがゆるすということだ。

私は家内を看取った後、自分が許せず、責めていた時期があります。お兄さまの側かもしれません。このごろ、ようやく自分をゆるせた気がします。
頭では許せても、心はずっと許せずにいるのかもしれません。我儘で自己中心的な人間だったのか、他人と比べてばかりいたせいなのか、劣等感を持っていたせいなのか。優しすぎたのか。寛容だったのか。広い心を持っていたのか。もう、なんだかよくわからなくなってしまいました。許してもらいたい。許したい。それが今の自分なのでしょう。素敵な文章をありがとうございました。
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