見出し画像

アカハチは逆賊か英雄か?~舞台「アカハチ」に思うこと~

昨日、国立劇場おきなわで舞台「アカハチ」を観てきました。僕にとってはかなり久し振りの舞台鑑賞でしたので、劇場に向かう車内から高揚感に包まれていました。
結論から言えば、「素晴らしい舞台だった!」の一言に尽きるでしょう。東京公演も予定されていましたが、コロナの影響を受け中止となってしまったようです。これは非常に残念。最高の舞台を、そして、オヤケアカハチという、琉球史の中でも面白い存在の人物を多くの人々に知っていただきたかったというのが本音です。
さて、前口上が長くなってしまいまいたので、ここから感想を書き始めましょう。「アカハチ」鑑賞記、始まり始まり。

史実のオヤケアカハチ

八重山ではその評価が見直されてきているオヤケアカハチですが、一般的には首里王府に歯向かった逆賊として知られています。
もともと、八重山に対して首里王府は人頭税などの重税を課していましたが、更に税を納めるよう求めたため、大浜村の頭であるオヤケアカハチはこれに怒ります。彼は首里王府や宮古島の島主である仲宗根豊見親(なかそねとぅゆみゃ)へ年貢を納めるのは不合理であり、八重山は八重山でまとまるべきだと考えたと言われています。
そこで、石垣島の有力者たちと協力して首里王府と戦おうと決意したのです。彼は、平家の落人の子孫として有名で「川平の英雄」と称えられた仲間満慶山(なかまみつけいま)や波照間島の明宇底獅子嘉殿(みうすくししかどぅん)に協力を要請しますが、断られてしまいます。そこでオヤケアカハチは、この二人が敵に回ることを恐れて殺害してしまいます。こうして、オヤケアカハチは一人、首里王府と戦うことになるのです。
その手始めとして彼は、敵対関係にあった長田大主(ながたふーず)を攻めますが、討ち逃してしまいます。このことがきっかけとなり、首里王府は八重山征伐を決定し、琉球、久米島、宮古からなる3000名余りの軍勢を繰り出すことになったとされています。
オヤケアカハチは奮戦するも、多勢に無勢、ついには討ち取られてしまったのです。こうしてオヤケアカハチは、首里王府に弓を引いた逆賊として知られるようになります。

3人の友情物語としての「アカハチ」

今回、僕が「アカハチ」を鑑賞して思ったのは、「なるほど、このとらえ方は面白い」でした。
そのとらえ方とは、アカハチ、長田大主、明宇底獅子嘉殿の3人を友として描いたところです。この3名は同じ波照間島出身(アカハチについては諸説あります)ということで、確かに友人関係であったとしても不思議はないのです。
アカハチは波照間を先駆けて出ていった長田大主とは別に、目的を持って石垣へと渡ります。それが、世界の海を駆け巡りたいというもの。その師匠として選んだのがオヤケホンガワラ。この点も、詳しく調べたんだろうなと感心しました。実は、オヤケアカハチは2人いたという説もあり、この2人が師匠と弟子という関係性も無かったとは言えないでしょう。
オヤケホンガワラやアカハチが首里王府に歯向かう原因を、重税に対する義憤だけでなく、イリキヤアマリ信仰を弾圧した点に焦点を当てたのも、歴史好きの僕にはツボでした。
3人それぞれが違う道をたどりながらも、成長した姿で再会するのが八重山の運命を決める首長たちの会談の場というのは、なんとも悲劇的にも感じます。
そして、僕がこの芝居のキーマンだと感じたのが、仲間満慶山。史実ではオヤケアカハチに殺されてしまいますが、「アカハチ」では八重山を自分のものにしようと暗躍する悪漢役です。八重山一の切れ者として知られる彼でしたが、首里王府の手先となって「アカハチ」の中では動き回ります。
まず、アカハチの師匠であるオヤケホンガワラを殺害し、その意思を継ごうとするアカハチも手にかけようとするのです。
友人であるアカハチを助けようと、長田大主は自分の妹であるクイツバを結婚させ、義兄弟となります。
そこで登場するのが、武家のプライドを持ち、妹と百姓が結婚したことを許せないマイツバです。仲間満慶山と組み、アカハチを殺害しようと計画しますが、クイツバの愛情により失敗します。
アカハチを守るため、刀を手に入れようと波照間を訪れた、アカハチの盟友であるタケチャとコルセでしたが、これを逆に利用されてしまいます。満慶山は、獅子嘉殿を殺害すると、これを2人のせいにするのです。
これにより、長田大主はアカハチに裏切られたと憤慨し、アカハチ討伐に加わることになります。アカハチは獅子嘉殿の死を悲しみ、その死に盟友である2人が関係しているのかを問い詰めます。
旧友の死を悲しむ2人の間に生まれた溝は、深く大きなものとなってしまう。悲劇の始まりと言っても良いでしょう。友以上の関係となったアカハチに裏切られたと嘆き、怒る長田大主。友を殺したのが自分の盟友ではないかと失意の中にあるアカハチ。この2人の場面を交互に、時には同時に進めていく演出は観る者を引き込んでいきました。
多勢に無勢の中、奮戦するアカハチも最後は長田大主に討たれます。百姓を、人を大切にしない者に対する怒り、この作品ではアカハチが弱き人々の心に寄り添う人物として描かれます。
そして、最後の最後に満慶山の謀略に気付いた長田大主の後悔にも似た表情。友を裏切り者と信じ、友を自分の手で討った彼の心境はいかばかりかと考えさせられました。
そして、人の心に寄り添うという為政者としての基本を忘れれば、何度でも「アカハチが来るぞ」というセリフにもハッとさせられた気がします。

エンターテイメントとしての「アカハチ」

次に着目してみたいのは、この舞台のエンターテイメント性の高さです。
「アカハチ」は芝居はもちろん、ダンスあり、歌ありのエンターテイメントを凝縮した舞台です。
そのエンターテイメント性、特に音楽を担っていたのが、きいやま商店の3人でしょう。芝居はもちろんですが、歌も歌い、踊り、ギャグもはさみと大活躍です。
また、津波信一さんの起用もエンターテイメント性を大きく高めていたと思います。
僕らの世代、津波信一さんは笑築過激団というお笑い集団の一人で、お笑い芸人という目で見てしまいます。もちろん、そこもしっかりと理解した上で、自身の役割を果たしておられましたが、締めるところは締める役者としての側面。エンターテイメントの世界に長年携わり、今は「TEAM SPOT JUMBLE」を主宰する演劇人としても活躍する津波信一さんの真骨頂のように感じました。
更に、同じく「TEAM SPOT JUMBLE」に所属する末吉功治さんの存在もエンターテイメント性を飛躍させることになっていたと思います。
全編を通して重要な役割を担い、芝居の中にしっかりとした芯を作っていたように感じました。
そして、「アカハチ」をエンターテイメント性の高い作品にしている一番の理由は、出演者全員の息の合った動きでしょう。
コロナ禍の中、十分な稽古ができたかと言えば、おそらくできなかったのではないでしょうか。その中で、ダンスにおける振りのシンクロ度は、本当に美しいものでした。腕の動き、足の運び、指先まで揃った動きには驚きを隠しきれませんでした。
「アカハチ」は出演者、裏方の皆様全員で作りあげた素晴らしい芸術作品だったと言えます。何度でも観劇したい、心の底からそう思える最高の舞台でした。

沖縄の演劇界の未来

大変申し訳ないことですが、僕が「沖縄の芝居」と聞いて思い出すのは、歌劇や方言せりふ劇と呼ばれるものでした。
ですので、今回の「アカハチ」は完全にイメージを覆してくれたのです。それもそうでしょう。僕のイメージから20~30年経過しているのです。僕のイメージの方があまりにも古すぎたのですから。
僕は、京都に20年近く住んでいました。その中で演劇にも触れ、ちょくちょく地元の劇団の公演や、有名な劇団のお芝居も観てきました。これは、率直に言わせてもらいます。今回「アカハチ」に出演されていた皆さんは、僕が見てきた芝居に出演していた役者さんと、全く遜色ありませんでした。お世辞でもなんでもなく、皆さんの個性が光っていたと思います。そして、その個性が一つにまとまった瞬間のきらめきは、沖縄の演劇界の未来をしっかりと照らしていた思います。
石垣島に建つオヤケアカハチの像は、大きく目と口を開き、どこかを指さしています。その先には宮良湾から広がる太平洋が広がります。沖縄演劇界の未来を担う出演者たちに、その海原を越えて多くの人にその輝く姿を見せてこいと言っているようだと言えば、少し大げさでしょうか?それでも、僕はこの「アカハチ」で見つけた光を、多くの方に知ってほしいと思っています。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?