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3夜連続note:01 【株式会社arca、新しい航海へ。】

新年明けましておめでとうございます。
arcaの辻愛沙子です。

2021年1月4日。

今日は、私にとって、株式会社arcaにとって、
全く新しい一歩を踏み出し始める大きな日。

普段あまり長文を書くことの無い私が、
人生の節目に感じている思いを書き記したいと思い
緊張しながら今このnoteを書いています。

3夜連続での配信になりますが、
それぞれ別々に大事な告知がありますので
楽しみに読んでいただければ嬉しいです!

不慣れなところもあるかと思いますが、
エピソードゼロを終えてようやく人生の第1章が始まろうとしている、
25歳 辻愛沙子 のリアルな思いを、精一杯書き連ねていきたいと思います。
どうぞ最後までお付き合いください。

株式会社arcaは、エードットグループから独立します。


本日1月4日、辻愛沙子はエードットグループから独立し、自己資本比率100%の新しい会社として株式会社arcaの再スタートを切ります。

2017年1月、エードットでキャリアをスタートさせてから、あっという間に約4年の月日が経ちました。
思い返してみれば、本当に、本当に、いろんな事があった。
1本目である今日はまず、そんなこれまでのキャリアを振り返ってみたいと思います。

大学に通いながら、広告の仕事に触れてみたいとインターン先を探しており、無邪気にエードットの扉を叩いたのが21歳の時。
その時は、まさか自分がその会社に入社するとは、牧野さんという心から信頼する師匠に出会えるとは、上場を経験する事になるとは、報道番組に出演するようになるとは、そして会社を作り、独立する事になるとは正直微塵も思っていなかった。

大学を卒業して広告代理店へ就職活動をするものだと思っていた当時、とにかく広告というものをこの目で学びたくてインターン先を探していました。
インターン2社目で出会ったのがエードット。
当時まだ社員も20名ほどで、オフィスも雑居ビルの中の1フロアにギュギュッとデスクを並べて皆でワイワイ仕事をする...そんな時でした。今とはまた全然違う空気が流れていた当時のエードットは、アットホームで楽しげで、それでいて(いい意味で)泥臭くエネルギッシュで、インターン生である私の目には、生まれて初めて出会った"居場所"のように感じたのを今でも鮮明に覚えています。

インターンを開始して2週間が経った頃、代表の伊達さんと直属の上司だった牧野さんと3人でランチに行くことに。そこで言われた「入社しない?」という一言で、私の人生は大きく変わっていきます。
大学に通いながらも正式に社員として働くようになり、1年目にも関わらず大きなプロジェクトを任せて貰ったり(📷01)、ずっと大好きだったゲーム会社さんとお仕事させていただいたり(📷02)、自主提案でRingoRingというスイーツをプロデュースさせていただいたり(📷03)、上司にアイディア出しのお題を貰ったものの、良い企画の何たるかが全く分からないので「とにかく量で勝負だ!」とアイディア100本ノックで返してみたり。とにかく毎日新しい挑戦に満ち溢れていて、人生で初めて自分の熱量を最大限に爆発させられる場に出会った、そんなキャリアの始まりでした。


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(⬆︎ 📷01 : ハウステンボス主催「お台場ウォーターパーク #OWP 」)

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「マーメイドの部屋をコンセプトに空間演出したい!」と意気込んで、あーでもないこーでもないとうんうん図面を書いてみたり、大人たちがオフィスで会議やデスクワークをしている横で、製作したマーメイドモチーフのドレッサーを搬入して、

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実際に点灯してみて光が盛れるかや、目にハートの光が灯るかをチェックしてみたり、、、笑 

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波をイメージした鏡を作りたくてデスクでダンボールに型紙を引いてみたり、壁の塗装をしてみたり、毎日が挑戦と試行錯誤の連続で、本当に本当に日々ワクワクの連続でした。ちなみに、ここだけの秘密ですが、お台場の展示で使っていたこのカーテンは、当時実家の自分の部屋で普段使っていたものが合いそう!と思って家から持ってきたものですw

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(⬆︎ 📷02 : スクウェアエニックス「バハムートディスコ」)

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(⬆︎ 📷03 : 表参道Air Stream Garden「RingoRing」)


2年目になり、人生で初めてのメディア露出がありました。日経トレンディの記者さんがRingoRingを見て辻に取材したいとご連絡をくださり、初めて自分の仕事が自分の名前で世に出ていったあの瞬間は今も忘れられません。そこから数珠繋ぎ的にprime newsαや初耳学などテレビの密着のオファーをいただいたり、少しづつメディアにも出させていただく機会が増えていきました。この頃が、今の辻愛沙子が出来上がる始まりの時期だったように思います。
仕事もちょっとずつ幅が広がり、兎にも角にも、作ったことのないものを作り、挑戦したことのない挑戦をし、経験したことのない経験をすることに日々燃えたぎっていた時期。
閉園後の遊園地でウォールアートを描いたり、はたまたコンビニスイーツの企画を考えたり、アイドルのMVをTikTokで撮影製作してみたり。とにかく手を動かして物を作るということを、泥臭く楽しく熱中していた1年でした。


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(⬆︎ 📷 : りんどう湖Lake View「#RindowRainbow」)

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(⬆︎ 📷 : ローソン「#Lハロ」)

3年目に入り、企画仕事を頑張るにつれメディア露出が増えていったこの時期は、ある釈然としないモヤモヤが自分の中にふつふつと沸き上がり始めた時期でもありました。
一つ目は、「肩書き」問題。
徐々にクライアントさんからの指名案件が増え、"ディレクション" 領域の仕事が増えてきた事。そして、チームで仕事をしているのに良くも悪くも"辻案件"と呼ばれてしまう事。さらには、メディアに取り上げていただく度に、「肩書きはどうされますか?」と質問を受ける事。
年齢も若いし、大手総合広告代理店出身な訳でもないし、業界内では重みと責任のある「クリエイティブディレクター」という肩書きをを自分が名乗ってはいけないのではないか・・・。道無き道を歩んできたクリエイターとして、そんな不安をどこかで常に感じながら進んできた背景もありました。
一方で「プランナー」では広義すぎてメディア露出では分かりにくいですという声もあったり、番組で「デザイナー」という呼ばれ方をして一緒に仕事をしているグラフィックデザイナーさんに申し訳ない気持ちになったり、クライアントさんにクリエイティブディレクターとしてお仕事のご依頼をいただく事も増えてきたりと、その葛藤でしばらく悩み続けていたんです。
師匠の牧野さんとも何度も話し合って、「プランナー|アーティスト」にしてみたり「ソーシャルプランナー」にしてみたり、名刺も無くなる度に違う肩書きを試してみたりして・・・。
そんな中で、ある時にふと憑き物が落ちたかのように覚悟を決めた日がありました。
それが「Ladyknows」を作ると決めた日。
その日から、私の名刺は「クリエイティブディレクター」とはっきり記され、どんな場でもその自覚を持って仕事をするようになっていきます。

「なのに」の呪縛、クリエイティブアクティビストの誕生

メディアに出させていただくようになって感じた二つ目のモヤモヤ。
それは、この社会のあらゆるところに蔓延る「無自覚な偏見」でした。

大学在学中にキャリアをスタートさせた私は、「女子大生"なのに"クリエイティブディレクター」「女の子"なのに"自分でキャリアを作って偉い」「若い"のに"社会のことをちゃんと考えてる」といった言葉がけをされる事が少なからずありました。女子大生であることとクリエイティブディレクターであること。女の子であることと自分でキャリアを切り開くこと。若いことと社会について考えること。それらの二つは、"なのに"の逆説で語られる二項対立なんだろうか? そんな疑問が徐々に色濃くなり、それが悪意のない言葉だと分かっていても、一つ一つの言葉にチクリチクリと心が刺されていく。そんな感覚を少しづつ、即効性のない緩やかな毒のように味わっていたように思います。一体この違和感がどこからくるものなのかもよく分からぬまま。

それと同じくして、当時Tapistaというタピオカブランドの立ち上げを担当していた時に、ある週刊誌でこんな記事が出たんです。

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誰を傷つけている訳でもなく、自分たちの時間やお金を自分たちの好きなものに使っている、ただそれだけのことなのに。
ナイトプールしかり、インスタしかり、メイクしかり、なぜ"若い""女性"の間で生まれるトレンドを、なぜ社会はこうも醜く嘲笑するのか。
おじさまのゴルフや、お兄さんの競馬は(もちろん女性で好きな人もたくさんいるけれど)こんな風に週刊誌で罵倒されるところをほぼ見た事がない。だとするならば、ここには年齢や性別でフィルタリングされた"偏見"のような虚像のイメージ像が渦巻いているのではないか。そんな怒りにも近い疑問を感じた瞬間でした。

そしてこの時の感情が、先ほどお話しした自分自身に向けられる「なのに」へのモヤモヤへと繋がり、今の社会課題を軸とした「クリエイティブアクティビスト」としての辻愛沙子に火をつけました。

この辺りから明確に、ステレオタイプやバイアスに向き合い縛りを解いていくようなクリエイティブを手がけていくようになっていきます。

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(⬆︎ 📷 : Milbon「Love Your Girls Power」)

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(⬆︎ 📷 : Tapista )
タピオカ=女子という固定概念を広げることで性別問わずに楽しんでもらえるブランドにという思いをのせて、キービジュアルではあえてピシッとしたスーツやライダースを身に纏った男性の手を入れてみたり。
(ちなみに1枚目のグラフィックの裏設定は、新婚夫婦の夫が妻の昇進祝いにお花とタピオカを買って帰るシーンと勝手に決めていましたw)

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子ども連れの親御さんが店内の待ち時間で困らないように(子どもが退屈せずに楽しく待っていられるように)、タピオカが出来上がるまでの世界を架空の「タピオカファクトリー」としてアニメーションで表現し、店内に覗き窓を設置してみたり。(テーマパークの待ち時間から発想を受けて、まるで窓の向こう側に工場が広がっているかのような演出を目指して内装デザインとアニメーションの融合を図りました。)

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(内装はただひたすらに可愛くて自慢の仕事なので無意味に載せますw)

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若い女子=社会の事など何も考えていないバカな子 という週刊誌で見たようなステレオタイプへのカウンターとして、参院選のタイミングで「選挙キャンペーン」を実施しました。
選挙に行って投票済証を貰ってTapistaの店舗に持っていくと、半額でタピオカが飲めるという至極シンプルで明快なキャンペーンです。

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選挙当日、各店舗に投票済証を持った若いお客様が次々に店舗に来店し、池袋店や渋谷店などの主要都市の店舗に至っては1〜2時間待ちの大行列となりました。テレビでも取り上げていただき、1日のキャンペーン利用者が3000件を超え予想をはるかに上回る結果に。若者だって社会に関心を持っていたりアクションを起こそうとしている人たちは少なからずいるんだと、同年代としても強くエンパワメントされた仕事でした。

Ladyknows設立。 


2019年4月10日。
4月10日は、日本で初めて女性が参政権を行使した日。女性の日と呼ばれる記念すべき日です。
リスペクトを込めて、この日にLadyknowsというプロジェクトを立ち上げました。

(webはこちら)https://ladyknows.jp/

(人生初のnoteでLadyknowsについて書きました)
https://note.com/ai_1124at/n/n31e297b8063c

これまでずっとクライアントワークをやってきた私の、自社プロジェクトという初めての挑戦。
女性を知る。
社会を知る。
自分を知る。
のキャッチコピーで、女性のエンパワメントを掲げる活動をはじめました。
先ほどお伝えした、年齢や性別による偏見を一つずつ紐解いていくことを目指したプロジェクトです。

ジェンダー平等についての議論は、どうしても男性vs女性の構図や、キャリア女性vs家庭的な女性、ラディカルフェミニストvsリベラルフェミニスト(またはvsマルフェミ)など、対立構造で語られることが多い。
しかし、敵対すべき、改善すべき、向き合うべき先は他の誰かではなく、不平等を是として成立してきた社会の構造そのものだと私は思うんです。
先述した通り、良かれと思って放った"無自覚な偏見"による「なのに」論調の褒め言葉があるように、その自覚なく他者を踏みつけてしまう事がある。これは、その人個人の問題である以上に、それを当たり前としてきた社会の風潮が問題の根幹ではないかと日々思っていて。

そう考えると、
「男女の賃金格差の問題」と「男性の育休取得率の問題」は地続きだし、「若年女性の健康診断の未受診率」と「正規雇用の男女差」は地続きだし、
「女は勉強なんてそこそこに早く結婚して家庭に入りなさい」と
「男たるもの一家の大黒柱として必死に稼いで他者に打ち勝て」は
総じて地続きの問題だという事が必然的に見えてくる。

そういった思いから、不必要な分断や対立構造を最大限生まずに社会の課題に向き合い改善策や自分の選択を考えられるきっかけが必要なのではないかと作ったのがLadyknowsです。

上場企業における女性役員の割合や(2020年時点で5%)

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男女別の育休取得率、

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結婚時に選択する姓の性別(事実婚含む)、

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国別の無痛分娩の実施率(経膣分娩/帝王切開を有痛と表現)、

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働く男女の平均年収

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など、ジェンダーギャップが生まれている歪みの部分をインフォグラフィックスにまとめて現状をファクトベースで理解することを目的としたプロジェクト。

この活動を通じて私自身様々な学びがあり、知らず知らずのうちに"それはそういうものだから"と思い込んでいたバイアスや、もうちょっとマシだろうとたかをくくっていたテーマでのジェンダーギャップ にハッとさせられる事が多々ありました。

個人として、クリエイターとして、発信者として、経営者として。

クリエイターとして必死に歩み続けてきた4年間。
制作物で社会のあちこちに蔓延しているステレオタイプに必死で向き合い続けてきた。

そして2019年からnewszeroやハフライブといった番組に出演させていただくようになり、社会に対してメッセージングをする発信者として、より一層社会を自分ごととして学び考え続けてきた。


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(⬆︎ 📷 : ハフライブ )

そして去年株式会社arcaをエードットの100%子会社として設立してから昨年12月31日(退職日)まで、ヒヨッコ経営者として右も左も分からないなりに出来ることを一生懸命やってきた。
会社の名前もほんの少しだけ、知って貰えるようになった。
辻愛沙子じゃなくて、株式会社arcaと呼ばれる事が増えた。
社会課題やジェンダー問題に取り組みたいからarcaに、と声をかけてくれるクライアントさんに沢山出会った。(そのフラットさと強固な意志に感謝&尊敬)

そして2021年、本気でジェンダーギャップの解消を目指す一人の経営者として、自分の足で立ち、未だ5%に留まる上場企業の女性役員比率を上げる1人になる為に。
経済合理性と倫理は二項対立ではなく共存共栄していけるものだと実証していく為に。
社会ってそういうもんだからと蓋をされおざなりにされてきた不均衡や偏見、そしてそれを許容し続けてきた社会は、自分たちの手で変えていく事が出来るんだと次の世代に証明する為に。
そして次の世代の辻愛沙子が、物珍しさに「女性"なのに"経営者?」と言われずに済むように。

2021年1月4日。
株式会社arcaはエードットを独立し、新しい海へと漕ぎだします。


社会課題の解決に、ビジネスとクリエイティブの力を。


社会課題の解決」と聞くと、ボランティアやNPOといった博愛的で献身的なイメージを持つ方は少なくないのではと思う。
一方で「ビジネス」と聞くと、利益と経済合理性に縛られたドライで強欲的なイメージがあるかもしれない。
クリエイティブ」と聞くと、それを生業としている身としても "楽しい事"軸で生きるポップで感覚的な印象を持たれる事が多いように感じます。

一見似ても似つかないように思えるこの3要素の融合が、これからの社会を変える大きな鍵を握っているのではと最近ずっと考えていて。
本当の本気で社会をより良くしたいのならば、「倫理観や想像力を持って、資本を生んで社会に還元し、クリエイティビティを通じて多くの人に届けていく」この3つの力を分断させず1つのアクションとして実行していく事が必要なのだと思っています。
(これに関しては明日の2本目で詳しく書きます)

最後に告知!


資本主義の限界を迎えようとしている今、これからのビジネスのあり方を、これからの社会のあり方を、これからの幸せや豊かさを、今一度皆で一緒に考え直していきたい。
そんな思いで、2つのアクションを準備しています。

1つは、ジェンダーや環境問題をはじめとした倫理や社会をゼロから学ぶ、大人のためのソーシャルスクール。
「知らない」ことを悪とする社会の風潮に、以前から違和感を覚えていて。
無自覚な偏見の積み重ねが差別を生み、目の前の差別に間違った反応をしていると周囲に指摘されないよう今度は見て見ぬ振りをし、その積み重ねでまた誰かを傷つけるステレオタイプが生まれていく。
"賢い人ほど口を閉ざす" そんな社会では、変わるべきものも変わっていかないと思うのです。
人はいつからでも気づき、学ぶことが出来る。
それを実証する為に、ゼロからの大人の学び場を近日立ち上げます。

クローズドな場作りで、心理的安全性の元「分からない」と疑問を投げかけられるよう、オンラインサロン型のスクールを。
そして、繰り返される企業炎上を横目に、どう対処していいのか、何が問題なのか、これからの時代何を学ばないといけないのか、目の前に課題を突きつけられているクリエイターや企業に向けた研修プログラムを。

1月下旬より、1つずつローンチしていきます。

どうぞお楽しみに!!!!!
私も学びたい!!!!!!!
一緒にアップデートしてこうぜ!!!!!

さいごに

新生 "株式会社arca"は、
社会貢献、ビジネス、クリエイブを軸とした新たな道を信じて、アクションを起こし続け、より良い未来に向けて実証していくことを強く強く心に決めて、これからまた一歩、歩み出していきます。

まだまだ小さな箱舟ですが、
思いを共にする皆様に少しでも応援していただけたらこの上ない喜びです。

美意識のある未来を願って。

株式会社arca
代表取締役 辻愛沙子

サポート頂けたらとっても嬉しいです!🐥