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青色写真

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儚くない夢

心からの想いには 必ずどこかで 誰かが耳を傾けてくれているもの 何度も守られ 助けられてきたからこそ そう思う 生きているこの時間は ほんのひとときの 儚い夢のようなものかもしれないけれど 儚い夢のような時間のなかで 儚くない夢をいくつも見てきた 目立たないもの 静かなものであったとしても 私が見てきた夢は 私にとっては儚くない夢 儚くない夢を いくつも見ることができたから 生まれてきて良かったな、と思える 想いに耳を傾けてくれている どこかの誰かに ありがとうっ

本当のこと

本当に向き合うべきことから 目を背け続けていると 似たような問題が 何度も、何度も 起きてくる。 本当のことを見る、ということは すごく怖いことかもしれないけれど 実際に見てみたら 「なんだ。こんなにちっぽけなことだったんだ」 って思うくらいの 小さな小さなことかもしれなくて 恐れるほどのことではなかったのだ、と 気付くことができたなら 自由で広がりのある世界への入り口が 見つかり始めるような気がする。

時間をかけて、ゆっくりと。

「頑張らなくていい」んだろうな、と思う。 シンプルで無責任で曖昧な言葉かもしれないけれど、でも「頑張らなくていい」んだろうなと思う。 「今まで信じることができなかったことを信じていく」ということも、時間をかけてゆっくりとやっていけばいいんだろうし、 「信じても大丈夫かもしれない」「信じても大丈夫なんだ」という感覚に、ゆっくり馴染んでいけたらいいんだろうなと思う。 そうして、扉が少しずつ開かれていく度に、目の前の世界も優しくなっていくような気がする。

切り替わる時

新しい空気感に切り替わってからも、過去に抱いた苦しい気持ちがよみがえってきたり、不安が湧いてくることがある。 それはまるで、心のどこかから「置いていかないで!」って言われているような感じで、ちょっと、引っ張られそうになるけれど。 「切り替わる時って、そういうこともあるよねぇ」って気付いておくだけで、大丈夫になっていけるような気がする。

いま見ている世界の他にも、世界はあって、 まだ知らない世界というのが、無数にあって、 そのすべてを想像しようとすると、 圧倒されてしまいそうだけど、 いつか、世界と世界に、 橋が架かる日が来たらと思うと、 未来がちょっと楽しみになる。 ここではない世界があるのかもしれないと、 想像してみることで、 扉が開かれていくのかもしれない。

ここから先へ

2週間くらい前に、「今いるところには、この人が連れてきてくれたけど、ここから先へは他の人があなたを連れていきます」と言われる夢を見た。 誰に言われたのかはわからなくて、声だけが聞こえた夢だった。 「寝ている時に見る夢には、何か意味があるんじゃないか」と考えるのが好きなので、考えている。 「今いるところ」とは、「この人」とは、「他の人」とは……? 「ここから先」に連れていってくれるというのは、今までとは違う状態に移り変わっていくということかな。 何かが切りかわるタイミングと

安心感

「こうなったらいいな」って思っていたことが、ふとした時に叶うことがあるので、何かを願うことというのは、すごく力のあることなんだなと思う。 なんとなくだけど、その時に受け入れられるくらいのものが届くような感じ。 些細なことであっても、私にとっては大切なことが叶った時。 「見捨てられていないのかもしれないな」と思えて、なんだか安心する。 願いが叶うということそのものも嬉しいけれど、その安心感こそが、求めていたものだなぁと思う。

手紙みたいに

「悪者扱いされて、つらかったね」 って、伝えたい気分。 心のなかには愛があったのに、それが伝わらなくて、悲しかったよね、と。 届くべきところに、手紙みたいに届いてくれたらいいなって思う。

生まれてきた目的

この前の満月の日に、「私の生きづらさの正体って、何なんだろうなー」ってぼんやりと考えていて、 そうしたら、学生の頃に同級生から言われた言葉を思い出した。 「なんか、あいちゃんって、どのカテゴリーにもあてはまらないよね。あいちゃんは、“あいちゃん”だよね」。 どこにいてもしっくりくる感じがしなくて、それなりに、傷付いてきたけれど。 ある意味では、私はいつも、“私”を生きていたのかもしれないな。 そうして、無意識のうちに、生まれてきた目的みたいなものを生きようとしていたのかも

どんな世界を生きていくのか

怖いことや不安なことを考えてばかりいると、脅威に対して怯え続ける日々をこれからも過ごさなければならないみたいな気持ちになってくるけれど、 逆に、良くなっているところや明るいところに注目してみたら、きっとこれからも良くなっていくんだろうし、明るくなっていくんだろうなって思えてくるから、 これからどんな世界を創り、どんな世界を生きていくのかっていうのは、自分自身がどういうもの・ことに注目するのかによって決まっていくような、そんな気がする。

感覚を守ること。

10代の頃に感じていたことは、35歳になった今でも「信頼できるな」って思う。 あの頃は、それを誰とも共有することができなかったし、「みんなと同じ方向に行かなきゃ」という気持ちも完全には捨てきれなくて、だんだん感覚が壊れていっちゃったけど。 それなら、今の私は、自分でそれを大切にしていこうと思う。 自分が感じていることを、自分で殺さないようにしよう、と思う。 10代の頃は、そういう知恵(知恵というほどのものでもないけれど)が湧いてこなくて、生きている実感みたいなものがだんだ

流れを信じること。

抽象的なことばかり考えていても、あんまり役に立たないかもしれないけれど。 その人の人生にとっての重要な出会いや出来事というのは、焦らなくても、力まなくても、“その時”が来たら自然と起こるようになっているのかもしれないなって、なんとなくそんなふうに感じる。 だから。 そういった人生の流れみたいなものを、信じていたいなって思う。

単純

暖かくなってきて、過ごしやすくなってきたら、なんだかそれだけで「いいことありそう」みたいな気持ちになってきた。 我ながら、すごく単純。 でも、「それでいいか」と思ってる。 あらゆることは、もっと単純に選択しても良かったんだろうな、と思う。 “単純さ”を許せるようになったら、また少し生きやすくなった感じ。

心の平穏

自分の心が穏やかでないと、自分の周りに平和な世界を創ることは難しいなと感じる。 そういう意味では、平和というものは、個人的な規模でも、恐らくそれよりも大きな規模でも、1人ひとりの心の平穏から始まるものなんだろうなという気がする。 祈りの力が、空気のように現実の世界に広がって、世界を穏やかにしていくといいなと思う。