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【連載小説】「青く、きらめく」Vol.3 第一章 風の章

「これ。首元、寒そうですから」
 部が終わって帰ろうとしたとき、仏頂面のまま、マリがプレゼントの包みを渡してきた。マフラーが入っていた。それは、クリスマス前のことで、世間では、そのイベントに向けて盛り上がっていた。けれど、マリの態度からも、シチュエーションからも、どうとは思えないほど、それはさりげないプレゼントだった。メッセージカードもなく、ラッピングもごくシンプルだった。だから年が明けてから最初のごはんに誘ったのも、軽い気持ちで、プレゼントのお礼のつもりだった。

マリは、部活で見るときと、全く違った。二人のときは、表情もよく変わるし、よく笑って、何でもおいしそうに食べた。
 対して部活の時、みんなの前では途端に表情が硬くなり、何を考えているのか分からない印象になった。
 最初のごはんの後も、彼女の中に全くそのことが記憶にないように振る舞われて、そのよそよそしさはカケルを少々戸惑わせた。
 この子、どういう子なんだろう。
 それを知りたくて、気が向いた時にごはんに誘うのかもしれない。
「今日、メシ行かない?」
 カケルのそんなそっけないメールに対して、
「いいですね。行きます」
 と淡々とした返事が返ってくる。二人のやりとりには、恋人らしい甘いムードは全くなかった。マリの方から誘いが来るときもまた、いつも唐突で、たいてい店も行先も指定だった。どこそこの何々が食べたい、何々を見たい。いつも目的がはっきりしていた。
 真面目で、いい子なんだろうな。それは分かった。いい子、というのは、いわゆる道をそれない、という意味で。
 それは家に送る時にも毎回感じた。マリの家は外観からして豪邸で、その近所にも同じ姓の大きな家が何軒かあった。いわゆる地の人、その土地の元地主のお嬢さん、という感じだった。
 その何軒もの〝桜井さん〟に見張られているようで、カケルは帰り道送る時、いつも居心地の悪さを感じた。こんなに〝桜井さん〟だらけじゃ、手も出せない。そこまで考えて、こんな道中で手を出すって、おれも何考えてんだ、と頭の中をかき消す。ちらっと横を見てもマリには、一時も踏みこませるすきがない。大きな瞳を真っすぐ前に向けたまま、おしゃべりを続けている。家に着くと、さわやかにバイバイ、と手を振って、手入れされた樹木の向こうへ消えていく。
 取り残されたカケルは、ひらりと自転車にまたがり、アパートへ向かう。夜の空気に、寄せては返す波の音が溶けている。

 最初の舞台を観に行ったのは、父とだった。確か五歳のころで、どんな内容だったかは忘れたが、舞台装置が圧巻だったことだけぼんやり覚えている。真っ青な照明の中、ものすごく大きな龍が浮かび上がっていた。恐ろしくもあり、魅力的でもあるその光景は、幼いカケルの心に焼きついた。
 自分がなぜ演劇なんか始めたのか、自分でもよく分からなかったが、やはり幼い頃に別れた父の影響はあるのだろう。
 今、書いているのは、優秀だったサラリーマンが、バラ売りの少女の幻影を見るようになって、だんだん没落していく話だ。
 

父は、稼げない人だった。役者志望、とか言って、日雇いの仕事をしたり、短期のバイトをやったりしていたという。そんな父に見切りをつけたのか、他に好きな人ができたのか、母はカケルが六歳の時に父と別れた。
「いい男だったんだから」
 いつだったか、父と母が別れたあと、母が酔っぱらいながらそうつぶやいたことがある。
「ダメな人だったけどね」
 そうつけ加えて、母はこたつに突っ伏したまま眠ってしまった。
 落ちぶれていくサラリーマンをコメディタッチで書き進めているのだが、この脚本を書いている最中に、ふと、父のことが頭をよぎる。ちゃんと、どこかで生きているだろうか。どこかでのたれ死んでいたりしないだろうか。

 少し煮詰まった感を覚え、カケルはペンを置いた。こういう時は、外に出るに限る。近くの図書館にでも行くことにする。行って、帰りに喫茶店で続きを書こう。明日は授業とバイトで時間がとれない。
 梅雨前の五月晴れ、汗ばむような陽気で、木立が青々と光っている。図書館前の池には、ハスの葉の間を、カルガモの親子が泳いでいた。
 外が暑く感じられる分、図書館の中はいつもよりひんやりと感じた。たくさんの本の匂いに囲まれて、カケルは奥の書棚の海外文学の方へ歩いていく。今、書いているものに直接関係なくても、良い文を目にすると、また少し自分の中で物語は動き出す。適当に何冊かフランス文学から手に取り、隣のロシア文学のコーナーに移った。この辺りはあまり人気もないのか、常に人はいないのだが、一人、年齢が同じくらいの女の子が一心に棚の上の方を見上げている。後ろ姿で顔は見えないが、この暑いのに真冬のニット帽子をかぶっている。取りたい本に、あと数センチ背が届かず、四苦八苦している。やっと手が届いた、と思ったら、隣の本も一緒に落ちてきて、彼女の頭をかすめた。
「あっ」
 バサバサッと静かな図書館に、騒音が響く。カケルは、女の子の代わりに、本を拾って元の位置に戻した。ふと、女の子の顔を見る。
「あ」
 今度は、カケルが小さく声をもらす。工藤美晴だった。

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