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失って初めて気づくこと

私は、Twitterが好きだ。

登録したのは2010年。
当時はグラビアやタレント活動の延長として、
ファンを少しでも広げたいという思いから日常のつぶやきを始めてみた。

当然、SNSでの自分の見せ方も分からずリテラシーも低いので、出演イベントの告知の他は、
おなかすいたなぁー、寝れないなぁー、寂しいなぁー、なんて調子のつぶやきにはフォロワーが増えるはずもなく、虚空につぶやくばかりで面白くもなんともなかった。

そんな私とTwitterの関係を一変させたのは、2011年の東日本大震災と福島第一原発事故だ。

リアルタイムで現地の様子や、被災地で困っていることを知るための情報収集ツールとしてTwitterを活用した。
全国的にTwitterユーザーが増え、皆で情報交換をし、それぞれに寄り添いあえるような感覚があった。
次第に、今まで考えてもみなかったこの国の政治についてや原発についてなど、いろんな人の意見を見たり自分も思いを発信をするようになり、賛同してくれる人や、いわゆるアンチといわれる人まで様々な出会いを繰り返した。

Twitterを見ていないと世の中から置いていかれるのではないかと思ってしまうほど、当時はのめり込んだ。

これらの発信などもきっかけの1つとなり、
報道リポーターや時事問題を扱うWeb番組への出演も増えていった。

まさに、Twitterと共に今の私があるといっても過言ではない。

前置きが長くなったが

なにが言いたいかというと、

なんでなん??

「ねぇ、なんで見れないの?バグ??
いつなおる??私だけ??なんで!!?!?」

7月1日夜〜2日にかけての私はまさに焦っていた。大好きなTwitterが一切見れないからだ。

ようやく入ってきたのが

イーロン・マスク氏が
「1日に読み込める認証アカウント(Twitter Blue等)は6,000投稿、未認証アカウントは600投稿までに制限する」と発表したこと。

え、なんでなん????

読み込みですよ、読み込み!!
Twitter読み込み600件なんか、我々ベテラン選手からすると、秒やないですかぁーー。落胆。

制限がかかると自分の投稿さえ見れない、
まさに吐いた唾は呑めぬ状態が続くよどこまでも。

その後、マスク氏サイドでも紆余曲折あり(しらんけど)制限の緩和が多少あったようで世の中も少し落ち着いたようだが。
ツイッタラーの仲間たち、
いかがお過ごしでしょうか。

でも真面目な話
すぐに浮かんだのは、近い将来必ず来る大災害時。
3.11をきっかけに、災害時にはTwitterで情報収集をしていた私達はこれからどう向き合っていくのか。
もちろん、デマの拡散などは減るからいいんだという人はいるだろうが、避難所の空き状況や物資配布の様子、ボランティア情報や必要な物など、被災後にTwitterを活用した場面はおおいにあっただろう。

みんなTwitter依存し過ぎワロタwでは済まないと思い、自分のツイートを更新したら(吐いたアレはアレですが)

“いや、そもそもこれまでタダで使えてたことがおかしいんですよ?フッ”勢が現れるのだった。

本当にそうだろうか。

課金などしない一般客にプロモーションという形で広告入れたり、
アルゴリズムによってピンポイントで企業が物を買わせようとしてくる姿勢をこちらも容認しているではないか。
マーケティング市場としては成立しており、持ちつ持たれつだと普通は考えやしないか。

ふと、00年代のYahoo!BBが街角で片っ端からADSLモデムを無償配布する販促を思い出した。
無料だから一旦持って帰って考えよ?手法とでもいうか、トラブルも絶えなかったようだが、その強引さで驚異的な勢いで加入者を伸ばした。

最近ではPayPayが良い事例だ。
100億円還元キャンペーンを展開し、登録者数を一気に増やし「PayPay!」というなんだかクセになる音での決済に慣れさせ、足りなければ様々な方法でチャージに持ち込み、またPayPayして..。
そしてこれから、
・他社クレジットカードの利用停止
・月2回目以降のチャージ時に手数料請求
という条件が加わるのだ。

これらを踏まえると、
“いや、そもそもこれまでタダで使えてたことがおかしいんですよ?フッ”勢の言うことも一理ある。

なぜなら、今回のAPI呼び出し回数制限の件で私自身がTwitter Blueに加入したからだ。
かつては著名人の称号であった、あの青い鳥をお金で買ったのだ。(月額1380円)

本来は著名人のなりすまし被害を防ぐために作られたブルーバッジだったのに、いとも簡単に有料サブスクサービスにしてしまうマスク氏のやり方が私は当初から気に食わなかった。
青い鳥への独特のあの憧れも同時に消滅した。

ただ、このSNS依存時代に一旦立ち止まって考えるきっかけにはなったのではないだろうか。

サービスに依存してきた頃に課金システムに流していくやり方について、
情報源が全てTwitterでいいのか、
Twitterを見ているよりも街に出てさまざまな人の話を聞いたり、本や新聞を紙で読んだり、
時には自然と戯れる時間も必要なのではないか、
Twitterのエゴサばかりやっている場合ではないぞ、など。

人間には、知恵と心があることを今一度自分で思い出して、ネットに溢れる誰かの一言一句に振り回されず、凛と生きていこうではないかと、改めて決意した。

そしてこれから私は、
このnoteに書いた文章をTwitterで拡散するのだ。人間は矛盾だらけだ。

おわり

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