早朝の自分語りとジョブカフェ

久しぶりに旧友と飲んだ翌朝。

改めて窓を開けてみ見た世界は、今まで過ごしてきた現実世界と同じ世界なのか、疑うくらい眩しく、かつ穏やかだった。

一ヶ月前に結婚を機に関東圏から地方へと引っ越してきた。引っ越すことにはかなり抵抗があり、なんなら仕事を理由に自分が引っ越すのを遅らせていた。
私に地方での生活ができるのであろうか。
自分が、地方出身の身で、尚且つ憧れで関東に来たことからさらにその思いは強く、恐れていた。
 電車やバスの本数も少なく、顔見知りばかりで、枠から外れたことをしたら目に留まり揶揄される。それを知った上で就職するまでは自分の感情を押し殺しながら地元で過ごしてきたのだ。
就職と同時に関東へきた。あぁ。なんて素敵な世界なんだ、と当時は思った。
 バスも電車も1時間待たなくても来るし、人も多いし。人が多いからこそなのか、いちいち他人のことを見て指摘してくるような人はいない。
それだけで十分だった。
ただ、孤独に、自分らしく生きていたかったんだ。
自分らしさを失っていたのはいつからだろう。
仕事に明け暮れ、疲れて帰ってくる日々は嫌いではなかった。むしろ望んでいた。地元で働くよりも給料は貰えるし、職場の人間関係も私的な話に入り込まれすぎず、程より距離感があり好きだった。
改めて今振り返ってわかったんだ。いつの間にかここでも、自分を隠していた。
  関東への憧れとその目標達成から充実した日々を送っていた私はそこには目を向けず過ごしていた。
 自分の生活さえままならない。仕事と寝る家の往復。それでも楽しかった。生きていた。
 関東で好きな人は現れなかった。気づかないうちに荒んだ生活をし、そちらの方に目を向けられなかった自分もいたのかもしれない。
結果、学生時代から付き合いのある男性と入籍した。だけど、地方に戻るのは怖かった。恐れていた。行きたくなかった。
 しかし大きな決断をしてしまった。
当時住んでいて心地の良い場所を離れるのは嫌だった。
だけども、私の好きな人はそこにいなかった。
多様になりつつある夫婦生活の仕方を模索した。別居のままで過ごすことも考えた。しかし、私はなぜかふと思い立ち、地方に行くことにした。怖いし恐れていたはずなのに。
それ以上に関東の生活での疲れたとの思いが上回ってしまったのだ。当時自覚はなかった。だが、振り返ってみて、かなり限界の状態で働いて生活していたんだと。今なら思える。

また地方暮らし。不安しかなかった。自分で行くと決めたのになんで来たんだろうと思う日も少なくなかった。仕事も関東にいた頃のように続けるつもりだった。
続けられなかった。止められた。働くことを止められた。
最初は意味がわからなかった。生活の一部だし、なんなら人生の大半の時間を占めるし。生活基盤だし。なぜ止めるのだといささか憤慨した。
 外で働く代わりに、家での仕事を任された。郵便物の発送。受け取り。日々の買い物。掃除。
やる事があって良かったと思った。何もしないで過ぎて行く時間は長く感じると、そう自覚していたから。
たまたまいった郵便局では不慣れなんだろうなと思わしき青年局員にあたった。近くにいるおば様局員に後ろから見つめられながらできる範囲でこなそうと、頑張っていた。しかし分からなかったのか、しばらく戸惑っておば様局員を眺めたところでおば様から声をかけられ教えられていた。
その時のことを明瞭に覚えている。その後も郵便局に行く機会はあり、尚且つ局員も変わることがなかったので、その青年局員の行動をなんとなーくぼーとみていた。半月経たないうちにそのこは随分1人で対応できるようになっていた。ちゃんとその後は分からなそうなことに関しては今度は自分からおば様局員に声をかけ聞きに行っていた。
そんな日々と並行して、私は働くことを諦められず、ハローワークに通った。ハローワークには良いイメージはあまり無かった。だけれども、なぜか足が向かった。やはり働きたかった。
 それに、家だけの空間に閉ざされているのが怖かった。旦那が怖いとかではない。決してそういうことではないんだが。今までずっと働いてきた身としてはこれでいいのだろうか、と疑心暗鬼だった。家事をこなした後の夜、これでいいの?ここに居ていいの?と旦那に繰り返し聞く自分にも嫌気が差していた。
ハローワークは最初は、失業保険などの手続きがあるから必要に駆られていっていた。それ以上行こうとは思っていなかった。
だけどもその中で、ある説明会を受けた時にその思いは変わった。
「ジョブカフェ」
予約不要…しかも失業給付にあたっての活動実績にもなる…。気になった。仕事の適性診断もできるとの記載もあり気になった。
そして行ってみた。そしてはっとした。
ラフに個々に話すものかと思っていたが、少し違った。まず、ジョブカフェ、ではなくその、説明会であった。
そこはポンコツで行った時に話されて気づいた。実際のジョブカフェは予約が必要であった。恐らく、それなら私は行かなかっただろう。なんせ、電話するのが苦手なのだ。
 説明会参加者は少なく、対話形式でその時は進められていった。旦那以外と話す機会があまりない訳で、それだけでも助けられた気がした。
その中で、自己分析することで自分の求めていることが明確になり、それを他者に提示できる状態になる。それにより他者からの支援が受けやすいことを知った。
漠然とハローワークに来ていた身としてははっとした。また、思い出した。
しばしば他者になにか聞かれても応えられない場面があった。自分は何がしたかったのかわからなくなり、唐突に怒ってしまう、当たってしまうことが以前から私にはあったのだ。
言われてすっと心に落ちてきた。ここが分岐点だったのか、と。私は相手に上手く伝えられなかったのは勿論、そもそも何を伝えるべきなのかも分かっていなかったんだと。
つまりは自分を理解できていなかったんだと。
説明会で職員の方はこれまでハローワークを訪れた人の話を少し交えながら話してくれた。
世界観が広まった。今までこの職業でしか生きていけないかと思っていたけれど、そんなこと無かった。色んな生き方があった。
説明会終了後もラフな感じで職員と話せたため、その流れでジョブカフェの予約を入れた。電話じゃなくても、説明会の後直接でも受付可能だった。
家族以外の他者と話す機会ができた。それが私にとっては良かったのかもしれない。視点が狭まっている中、ジョブカフェの職員のこれまでみてきた人々の話は面白かった。とりあえず私も自分の今の状態が知りたかった。
予約日不慣れな土地勘でGoogleマップを駆使しながらたどり着いた。また同じ職員がいた。顔見知りになり、なぜか安心感があった。ゆっくりとした環境に置かれ、自分が思う以上に話しやすかった。話してしまった。意外と冷静になれば方向性は明確であった。まともになれる自分がいた。
 前の仕事を辞める直前、人と揉めたことがあった。言った言わない、あいつがいったからかっとなったんだ、とクレームが入って大ごとになった。ほんとに些細な、一言言い間違ったことだった。相手に訂正はそのあとすぐした。だが、1度言ったことは相手の中で訂正されず。相手も私も、ともに怒り口調で、相手目線でかなりわたしも怒鳴る口調になっていたとの訳で。その人に対する私自身の相手への怒りも口からダダ漏れの状態で。のちに上司からも言い過ぎだとお叱りを受けた。
正直、まだ反省はしきれていない。言い過ぎたこと、相手に不快な思いを与えてしまったことに関してはとても反省している。だが、あの時私はなぜ言い間違えたのだろうと。言い間違えたことに関してなんでそんなに怒るのだろうと。
思っていることと違う言葉が出たから。はい、いいえと簡単な応えをもとめられていたのにもかかわらずそれを間違ったのだろう。正直わたしはおかしい人間なのかとそっちを疑い、反省しきれなかった。脳のバグで言い間違えるなら、わたしはあの場にいるべきでなかったし、仕事の一部である以上、会話が排除できないのであればこの仕事に就くべきではなかったのだろうと。
違うそこじゃないと怒った側は言うかもしれない。しかしそこは私自身から相手に聞いてはいけない領域であるのは理解していた。自分がした事が良くなくて悪いことだと言うことは理解した。相手に悪かったと、謝りたいとも思っていた。しかしそれ以降私がその人を見る機会はなかった。
今振り返れば、掘り起こしてしまえばまた相手は怒るだろうから無理なのは分かるが、なぜ両者が怒るに到達し不快極まりなく、後味が悪く、なんなら私がその仕事を、きっぱり辞める動機にもなったか、知りたくはある。自分の不徳のいたすところがいっぱい出てくる怖さもあるが。
脳のバグなのか、その環境下に置かれたことによる逃避反応だったのかなんなのか。
とりあえずストレスフルで私側も働いていたのだと。今なら仕事するべき状態じゃなかったのかもしれないと、思う。
この1件があったからこそ、ジョブカフェにいき冷静に今必要としている仕事に関して話せている自分に気づき感動した。そこまで方向性が明確なら自己分析しなくてもいいと…といわれあっけに取られるとともに安堵した。しかし「まあ、長年やる仕事ならまた違うかもしれないけど」と一言加えられ、その部分も大いに納得した。
今、私に大事なのは旦那と穏やかに過ごすことであった。
他者とのかかわりは人間生活を送るのに少なからず大事だけれど、今の私はそれを仕事に求めている訳では無かった。また私は引っ越すかもしれないし、というところもあり職業選びの観点からする職員の発言にとても納得した。
ハローワーク職員は必ずしも地元の人がやっている訳ではなく、ジョブカフェの職員のほうが比較的その地域のことをよく知ってることも教えてもらった。その地域のことをよく知らない身としては地域柄知っとくべき天候、通勤に関しても教えて貰えてとても助かった。
 もう書き始めてから、2時間半ほど経過しようとしている。まだ比較的朝早いのに真夏の白昼のような天気だ。

旧友と話せて楽しんだ状態でぐっすり寝て。早起きしてこんな時間が生まれた。
私の心も落ち着いてきて、お腹もゴロゴロなってきたのでここまでとする。
こんなにもの静かで、明るい夜明けがあるのかと、こういう夜明けも悪くないと。思えた。

追記:お腹の音が鳴り止まない。





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