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ブスの傷跡

全く眠れなかったので今日は一日心を休める日にしようと思う。

眠れなかったのは昨晩、上司と意見が分かれたことについて一晩中考え込んでしまったためだ。その出来事自体は本質ではなくてきっかけにすぎず、今日はその私の悪いクセについてnoteに残しておこうと思う。きっと文章にしたらすっきりして眠れると期待して。

ブスと呼ばれた頃

子供の頃や新社会人のころ、言葉のいじめだとブスとか、バカとか、キモいとか、死ねとか。学生時代には文具を捨てられたり、教科書を隠されたりとか、着ている洋服のジッパーをおろされたりとか、胸を触られたりとかもあった。環境についても原因はあるだろうし、実際に顔は良い方ではないので、子供心の無邪気ないじめや、社会人なりのストレス発散だったのかと思う。

いじめにあっていたときはそれぞれ・それぞれのいろんな原因や環境があるのだろうから、それらをひとつひとつ今回取り上げたいわけではない。

当時の環境やいじめ側の気持ちについては寄り添っても意味がないというのを頭ではわかっているけれど、私はそうやって辛い思い出、辛いいじめやいろいろなハラスメントから自己防衛をしてきた。
そのことを少し思い出して書いてみるので、こういう人もいるんだなと読み進めてもらえるといい。

やり直しシミュレーション

わたしはいじめが本当につらかったし、死のうとしたこともあった。包丁をキッチンからもってきて悲しくて怖くて泣いているところをお母さんにみつかったことがあったのを覚えている。怖かったけど、本気で学校生活が、生きることが辛かった。

その当時のことはもう記憶があまりないのだけど、死にたい代わりに辛い思い出を思い出して、相手を言い負かしたり、相手からうまく逃げる妄想をよくしていた。英語ができたから次いじめられたら英語で喧嘩してやろうとか、こうやって論理的に伝えてみようとか、きっと相手はこういう気持ちだから、こうやって話をしてみようとか考えてた。実際にはそんなことができた記憶は全くなくて、自分なりの自己防衛手段として機能していただけだ。そういう「やり直しシミュレーション」を繰り返していくうちに、私は想像力と共感力がちょっとだけ強くなり、自己肯定感を持つ代わりに他者共感により自分を説得していた。ありとあらゆる妄想をして、私に加害してこの人達はかわいそうだとかも思っていたかもしれない。今思うと、根暗だなと思う。「涙の数だけ強くなれるよ」とは言うけれど、強くなるのではなく他人の気持ちに寄り添うことで自己防衛させる、自己肯定感の”偽物”である。

Twitterでは語られた言葉を額面通りに受け取るばかりで語られなかった想いを行間から汲み取ったり背景に想いを馳せる人はすくない。『何を語ったか、ではなく、何を言いたかったか、を考えられない人は子どもっぽい(未熟だ)』という趣旨の金言を発したのはかのゲーテだが自戒を込めて心に刻みたい。
https://twitter.com/hifumikato/status/1277205968518934528?s=20

ひふみんがいうように、なにが言いたかったのかを考えるためにやり直しシミュレーションを繰り返すことは訓練的にはとてもいいことだと思う。
これができない人は世の中にたくさんいるし、老化や世代差で濁ることはとても多い。そこも織り込み済みでコミュニケーションしなくてはならないと日々思う。ただ、悲しいことがあるたびに古傷のようにこの「やり直しシミュレーション」から抜け出せなくなり、悲しみで眠れない夜がたまに訪れる。それがたまたま今日だ。別に上司にいじめられたわけではないのだけど、意見がうまく交換できなかった。感情の暴走が止められず何度もシミュレーションして、上司の言葉の真意や自分が言いたかったことについて無限に会話を想像してまともに考えられずにループしてしまう。悩んでいるのではなく、考えてない 状態、とはこのことだと思う。でも、止まらないんだなこれ。

朝はくる

ブスという言葉に傷ついて、美容院にかけこんだ日、美容師は優しく、静かに怒って、「それは犯罪だよ、レイプといっしょだよ。そんなやつのこと気にすることはないけど、今日はめちゃくちゃかわいくするからね」って言われて嬉しくて泣いた。私はその美容師の言葉はシミュレーションができなかったけど、頼る先はすごく正しかったと思う。ブスって言われて悲しい気持ちになったら、自己肯定感がもてないときは、美容院でかわいくなるといいと思う。

この悪いクセが完治せぬまま、随分長い年月が経ってもういい年齢だけれど、いつかこの悪いクセをコントロールできるようになるにはきっと本物の”自己肯定感”を手に入れないといけないのだろうと思う。

これまだ間に合いますか?自己肯定感はトレーニングで筋トレのように毎日積み上げないとすぐに忘れてしまう。なんて厄介なものでしょう。

もう朝だけれど、もう一度おやすみを試みて。

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