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米線だけじゃない!譚仔三哥(タムジャイサムゴー)の"味わい"をより深める3つのポイント

2022年3月31日、新宿中央通りにて盛大かつ華やかに幕を開けた、香港の米線(ライスヌードル)チェーン『譚仔三哥(タムジャイサムゴー)』日本1号店。

株式会社トリドールホールディングス/株式会社譚仔日本
日本1号店グランドオープンを伝えるニュースリリース(2022年4月1日)

グランドオープン直前に開催された「お披露目会&試食会」へお招きいただきました。
せっかく伺うならばと、ネットや過去に通った廣東語講座の同學の皆さんなどからあれこれ見たり聞いたり予習してみたところ、「?」が「!」に変わり、お店の楽しみがさらに広がる発見が。
お披露目会当日は、タムジャイプロジェクトのトップ、花畑啓之さんの進行と解説、さらに試食タイム中には質問にも快くお答えいただき、米線をはじめとした料理の数々はもちろん、譚仔三哥のことを識ることによりお店の楽しみ方をグッと深めることができました。
ウン、よかったよかった。と、自分のメモノートを削除しようとしたその時ふと思ったのです。
せっかく集めたこの情報、こちらのnoteで公開したら、誰かの楽しみも広がるきっかけになるかも。
そのようなわけで、こちらに書き留めておくことにいたしました。

米線オーダー体験&試食でいただいたのは、三哥酸辣/3小辣/トッピング3品(鶏ムネ肉・キクラゲ・パクチー)三哥酸辣スープの旨みのカギは、黒酢使い。辣度3小辣は、基本よりやや辛め。

メニューやオーダー方法は、公式サイトにとってもわかりやすく掲載されています。そしてSNSにも早速駆けつけた人たちの投稿が多数あがっており、組み合わせの参考にもできそう。こちらでは、米線以外の3つのポイントに注目。譚仔三哥の味わいをより深めてゆきましょう。

①トーフェイ・チキン

香港の店舗で大人気、商標登録をしているほどの看板商品。人気がありすぎて、他店から同じ呼称の類似品まで蔓延る事態に陥ったこともあったそう。

「ウチのが本物のトーフェイだ!」類似品に悩んだ頃の心の叫びが、壁面にデザインされている。

トーフェイ・チキンは漢字で「湖南土匪雞翼」。
湖南料理のいちカテゴリー「土匪菜(トーフェイ料理)」をイメージした、譚仔三哥オリジナルレシピによる鶏手羽のスパイス焼です。
湖南省西部の料理には「土匪〇〇」という名の料理がいろいろあり、鶏や豚レバー(猪肝)など、とても人気が高い料理。中でも「土匪鴨(アヒル)」は、土匪菜の起源ともいわれます。


湖南省西部のある処に、料理上手な奥さんがいました。
腕前の良さが評判を呼び、小さな食堂を開くことに。
その場所が「こんなとこまで人来るか?」という荒廃した山間の路地。
辛うじてなんとか家計を回す程度の、大変な商売。

彼女の家では、アヒルをたくさん飼っていて、雛の頃から放し飼いをしていたおかげか、その元気さは凶暴に思えてしまうほど。畑を荒らし作物をダメにしてしまううえに、卵も産んでくれない。
「もぉぉぉぉぉっ、おまえたち!まるで山賊じゃないか!」といつもアヒルに向かって怒鳴り続けていました。
そんな日々が続いた挙句、ついに奥さんに我慢の限界が。
アヒルを全部処分してしまったのです。

そして、食堂で料理として提供。すると…
暴れん坊だったことがまさかの奏功!食材としては繊細で締まり良い上質の肉となり、奥さんの腕前と相まって、それはもう香りと食感がとても良い美味な料理に生まれ変わったのだとか。
これは客たちからも大好評、「これ、なんという料理なんだい?」と訊かれた時に咄嗟に出た、奥さんの答えが「土匪鴨(山賊アヒル)!」

それからというもの、アクセス悪い立地もなんのその。「土匪鴨」食べたさに客が絶えることなく、食堂は大繁盛。さらに、それを真似た店が他にも増え、調理法や使用食材のバリエーションも広がりながら「土匪菜」という新たなカテゴリーが形成されてゆきました。「土匪」は山賊という意味に加え「フレッシュでいきのいい食材」の代名詞ともなり、「土匪菜」と呼ぶにふさわしき基準ともいわれるように。放し飼いしていたものでなければならない、という一説まで出現したりも。


譚仔三哥のトーフェイ・チキン(湖南土匪雞翼)

トーフェイ料理はわかったところで「さて、なぜ香港の譚仔三哥で湖南料理を出すのだろう?」という疑問も。ここからは譚仔三哥の歴史に少〜しばかり触れてみましょう。

譚さんファミリーは、中国湖南省出身で、譚仔三哥の名にもある創始者の三男・澤群さんも湖南で生誕したのだそうです。元は祖父が地主で裕福な生活を送っていたけれど、父の代で文化大革命の影響を受け苦難の生活へ。
【1960年】澤群さんたち兄弟と両親は、広州を経由し香港へ移りました。
その後兄妹も増え、皆成長し、澤群さんは飲食業に興味を持つようになっていきました。
【1995年】先ずは六男と茶餐廳を開業。しかし経営は思うようにうまく行かなかったようです。
【1996年】『譚仔雲南米線』を開業。
(雲南米線を選択した経緯についての情報は現時点において見つけることができませんでした。例えば、大陸ではポピュラーだったにもかかわらず、当時香港ではほとんど存在しなかった点に着目したとか?)
創業当初経営に携わった兄妹は、三男澤群さんのほか四女夫婦・六男・六男の同級生だったようですが、のちに同級生が退き五男が加わりました。
その後、異なる屋号の米線店や湖南(&四川)料理店など新たな事業に着手したこともあったようです。
ある時、『譚仔雲南米線』に大きな変化をもたらす出来事が。
映画プロデューサー・作家、さらに美食家としても広く知られる蔡瀾(チャイ・ラン)さんの目に留まり、コラムに執筆されたことがきっかけで、お店は瞬く間に行列の絶えない店に。夕方まで昼食もとれぬ忙しさとなり、メディア取材も続々訪れ、店は大繁盛!
【2003年】兄妹4人で会社を設立し、支店を増やしてゆきます。
が、だんだん4人の間には経営理念の相違が生じ…
【2008年】『譚仔雲南米線』(四女・五男)と『譚仔三哥米線』(三男・六男)に分割。
【2011〜2013年】『譚仔三哥米線』ミシュランのビブグルマンに選出。香港のみならず台湾や上海へも進出拡大。(のちに台湾・上海の店舗は閉業)
【2017年】トリドール(東利多)ホールディングスが、5月に『譚仔雲南米線』を、12月に『譚仔三哥米線』を買収。
のちにシンガポールへの出店から海外進出スタート。
そしてついに…
【2022年】3月31日、東京新宿に日本1号店オープン。4月に吉祥寺・恵比寿にもオープン予定。
「世界一のヌードルチェーン」に向けた一歩を踏み出しました。

というわけで、トーフェイ・チキンは譚ファミリーの故郷・湖南の料理だったのです。

②譚仔姐姐と譚仔話

店舗スタッフは、譚ファミリーの故郷・中国湖南省やその近隣である中国西南エリア出身の人が少なくなかったようです。
彼らにとって廣東語の発音は大変難しいもので、「なんとなく言わんとすることは分かるのだけど惜しいっ」という感じに。完璧ではないけれど一生懸命伝えようとしてくれているさまがとても愛らしく親切さを感じる存在として「譚仔姐姐」は、米線と肩を並べるほどの(!?)代名詞のひとつ。彼らが発する言葉を「譚仔話(姐姐話ともいう)」と呼ばれています。

例えば、
(正→譚仔話 の順)
◉凍檸茶少甜→凍鏈茶少田 レモンティー甘さ控えめ
◉飲唔飲嘢→忍唔忍嘢 飲みますか、それとも飲みませんか
◉腩肉墨丸→懶肉勿演 バラ肉とイカ団子
◉十小辣→實小勒 十小辣(お店の辛さレベルのひとつ)

店内随所に譚仔話が。
譚仔話がみっしりな壁面デザイン。さぁ、いくつわかりますか?

お店へ行ったらぜひ探してみてください。

そしてもうひとつ注目してほしいのが、スタッフの名札。

「〇〇ねえさん/にいさん」呼んでみましょう!


”譚仔話を話す姐姐”を、流石に日本で再現は難しいけれど、親しみやすく愛される存在であるように。
そんな願いを込め、ひとりひとりの名の後に「姐 / 兄」の文字が。
米線のオーダーについて尋ねたり、いっそのことオススメ通りに委ねてみたり。「気さくで頼れる〇〇ねえさん / にいさん」に、ぜひ声をかけてみましょう。

③マイシンじゃなくてミーシェン?

『譚仔三哥米線 タムジャイサムゴーミーシェン』
香港人・香港迷・中国語学習者・中華圏在住経験者の皆さんなど、この店名表記を目にした瞬間「んっ?」と見直した人、多いのでは?
タムジャイサムゴーまではいいのに…ミーシェン?
廣東語で通すなら、マイシンだよねぇ、と。
スープバリエーションのひとつ「煳辣」はフーラーとせず「ウーラー」と読み、パクチーの漢字は香菜でなく「芫茜」といったように、廣東語を採り入れているところもありながら、米線は「ミーシェン」。
この点もズバリ尋ねてみました。
当然わかっていることではあり、検討を重ねたそうですが、結果、響きの可愛らしさなどから、日本ではミーシェンでいこうとの決断に至ったのだそうです。

『譚仔三哥米線』は、新宿をはじめ、今後オープン予定の吉祥寺・恵比寿も含め、いずれも駅から近くわかりやすい立地。そして通し営業なので遅いランチにも助かります。「ミーシェン食べよ〜!」という会話が飛び交うようになり、より多くの人々に米線が広まっていくさまを想像すると、なんだかとてもワクワクしてしまうのです。

目を引く外観で、迷わず行けること間違いなし。ミーシェン食べよ〜!




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