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【信州小谷稗田山崩れ(ひえだやま).山があれば必ず起こる崩れ、そして砂防】


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2021年8月28日。朝、雨雲レーダを確認して稗田山崩れを見に行くことに決めた。「いきあたりばっ旅」*ではなく事前に学習もしている。
稗田山というのは小谷村の、場所で言えば白馬コルチナスキー場の北側、崩れたところは白馬乗鞍スキー場のゲレンデ最頂点の北側斜面といえばわかりやすいだろうか。駅で言えば中土と北小谷の中間ぐらいから栂池の山に向かっている沢の先にある山だ。その沢は浦川という名で、姫川に流れ込んでいる。
崩壊の4日前に台風が通過し記録的な降雨があったとされているが1911年(明治44年)8月8日、この稗田山が突然崩壊し、大規模な土石流となって沢に流れ込む。日本三大山崩れの一つで日本における20世紀最大級の土砂災害といわれている。

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幸田文の「崩れ」でこの災害を知ったのは4年前。ようやく実際に見ることができた。この沢の上の方に金谷橋という橋があり、そこから山体崩壊のほぼ全貌を見ることができるのだが、この橋はケーブルだけで橋脚を建てずに両岸をつなぐ橋で関門橋を架けるにあたってその試作として作ったミニチュアバージョンだとも言われている。瀬戸大橋のモデルにもなったらしい。余談だが学生の時渋谷で本四橋を設計する会社でアルバイトをしていて、パース図を撮影するところを手伝ったりした。

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幸田文の「崩れ」、そして孫に当たる青木奈緒という人の「動くもの動くとき」というエッセイは、祖母の足跡をたどりつつ、また崩れに飲み込まれていく一人の女性(自分自身)を描き出してもいる。こちらは崩れのあとにある「砂防」に関しても深く踏み込んでいる内容だ。この2つのエッセイはまことにもって日本人なら、そして長野県民なら一度は読むべき随筆だと思う。
現地では距離感とスケール感(同じかw)で「感動」するが、それが写真では伝わらないのはしょうがないね。

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「いきあたりばっ旅」というのはその昔w「BE-PAL(ビーパル)」という雑誌にこのタイトルで連載があった。文字通りいきあたりばったりで旅をするという内容だった。

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