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抱きしめたい。その参

「抱きしめたい」

12月15日(女優美学Ⅲ)

 深田恭子との『ルームメイト』、ギャンブラーの気っ風を体現した『ジャッジ!』、そしてノーガードで無意識の「私」のまま生きるヒロインを演じたドラマ『独身貴族』。この冬の北川景子は、それぞれに異なる色彩を放ちながら、生来の強靭さになお一層磨きがかかっている印象がある。その極めつけともいうべき肖像が『抱きしめたい』には刻印されている。ここで彼女が体現している魂には、強さというものが宿命的にはらむ儚さが宿っている。芯はある。だが、そのフォルムは柔らかいという次元にまで、北川の演技は達している。
 特筆すべきは、観る者に与える作用が、感情移入への誘いとはまったく違うものであるという点である。実話を基に、両脚が不自由で、ときどき記憶があやふやになるという女性を演じているが、悲劇性や哀感といったものは一切漂わせない。「それ」が混ざったら、大切ななものがとけてしまうと言わんばかりの潔癖さで、北川は銀幕のなかに存在している。しかも、その潔癖さが、いささかも頑なではなく、むしろ「投げ出されている」ように思える。閉じるのではなく、開く。そのような勇気とともに、北川はひとりの人間をあらわす。それは自身の価値を己で決めるのではなく誰かに託す、可能性としてのありようだ。だからこそ、彼女は錦戸亮扮する男の視界に飛び込んだのではないか。
 この映画を見つめていると、この世界には「とけない雪」もあるのではないかと思えてくる。それがたとえ錯覚だとしても、ありえないものを現出させる力が、いまの北川景子には間違いなくある。

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