自身のコミュ力
つい最近、Twitterのスペース機能を使って人としゃべることがありました。
物は試しに、何事もやってみないと分からない!と始めるも、実際に人としゃべるまでに至らずでしたが、一度だけ数時間、複数人としっかり会話する機会が訪れ、しゃべってみるといろいろと思い知らされることがありました。
私は昔から「聞き手」に周ることが多く、自分のしゃべりたいことがしゃべれない、しゃべりたいことがまとめられないということばかりです……
実生活に至ってもそういう面は多く、改善したい、生きるうえでヒントにならないかとアレコレ試している状態なんです。
そんなわけでスペースを、ホストとしてするわけなんですが、やはり今まで通り開いて人が集まったら自分は聞く専門になる始末。
口を開けば微妙な空気になり、会話も断ち切ってしまうことがしばしばでした。
いわゆる「コミュ障」
やはりなかなか変わらないものだなと思うと同時に、能力が足りない、学びが足りないなと感じるばかりです。理解に時間もかかり、終始無言や他社に譲ってしまい、苦しいなと感じる場面も多々ありました。
相手と相手をつなぐことはできても、自分は交ざれない。なかなか難しく、やはり悩みのタネですね。行動したことによって、また、どうすればいいのかという悩みのループに差し掛かり、結局思うのは向き不向きってあるなと。
そうなると結論、聴く側なんだなーと悔しさ反面諦め反面。ただ、参加して毎度そうなるということは、聴く側にしかなれないのかなとなってしまいます。
いずれそのモヤモヤした部分に気づくまでは続けて、苦しい思いはするだろうけれど、しないという選択肢は持ちたくないなと頑なにやってます。凹むこと、思い知らされることは多いだろうけれど、それを無くせるようになるのが当面の目標ですね……
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