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比べる

星占いのドラゴンヘッドの話ではないけれど、ブログではよくこんな話も書いているのでnoteにも試しに載せてみます。
好評ならまた何か考えたときに書いてみましょう。

「比べる」「比較」ということについてぼんやり考えた。

よく「比べるのはよくない」という話を聞くけど、別に比べるのは悪いことじゃない。
というのも、星占いで出てくる風の星座(双子座、天秤座、水瓶座)には、「比べる」「なにかとなにかの違いを認識する」の性質が備わっているから。

「比べるのはよくない」と言うのは、双子座、天秤座、水瓶座(その中でも特に天秤座)の性質が強い人に「あなたは不幸確定ですね」と言うようなことでもある。
そもそもこの世に存在している事柄、誰かが持って生まれた性質に対して いきなり「それはよくない」の姿勢でかかるのはどうも建設的ではない。

たとえば水の星座(蟹座、蠍座、魚座)の性質でよく挙げられるものに「共感」がある。
ということは、「共感」は「比較」と並ぶような 近いところのある代物だ。

比較がダメなら共感もダメではないのか。他にも、思考も直感も感覚もひらめきもダメということになるのではないか。
…ということを考えると、「比較はダメ」とは言えないなとなる。

比べるとき、私たちはなにをしているのか

「比較」「比べる」をしているとき、我々の頭の中では何が起きているのだろう。
あすかさん(私)とあけみさん(仮)を比べてみよう。

「あすかさんとあけみさん、どっちがおいしいか」と考えるとき。
両者の違いについて考えるのだけど、このときあすかさんとあけみさんは二人とも「食べ物属性」を持っている前提で考えを進めることになる。

なにかとなにかの違いを考えるとき、なにかしらのものさしが必要になるけれど、そのものさしは 両者に共通する性質、属性 ということだね。

身長を比べるなら「長さを持った存在」というところが一緒だ。
恋愛のお相手としてどうかを比べるなら「(実際に起こるかどうかは別としてイメージの中だけでも)恋愛のお相手としてある程度想定できる存在」というのが共通している。

なにかとなにかを比べるとき、私たちは「両者はなにか同じものを持っている」と認識しているわけだ。
その認識について無自覚なことも多く、違いを考えようとしているから「相反するもの」と見てしまいやすい(なんなら敵対関係のように捉えたりもする)けれど、違いを考えているのに共通のなにかが前提にあるとはおもしろい。


両者がなにか「同じもの」を持っていて(自分が心のどこかで「これとこれは同じものがある」という前提を持っていて)、
その「同じもの」が多いか少ないか、大きいから小さいか…などの加減を考える ということを、比べるときにしているわけですな。

さらに、「そのなにがしかの性質の多さや大きさが私にとって重要である(価値がある、好き嫌いを感じる)」ということも心のどこかにあるはず。
そうでないと、そもそも比べようと思わないからね。

だから、多くの人は「あすかさんとあけみさんはどっちが食べ物としておいしいか」を考えない。
あすかさんとあけみさんの食べ物としての味を 多くの人は重要だと思っていないから。

・自分が大切だと感じる性質、属性がある(ものさし)
・その性質、属性を持っている何者かが複数いる(ものさしをあてがう対象が存在すること)

他にもあるかもしれないけれど、ひとまずこれらは「比べる」をするときに必要な条件ということですな。

なぜそれを大切と思っているのか

自分が大切だと思っているその性質は 本当に大切なのか。なぜそれを大切だと思うのか。
(例:食べ物としておいしいというのは 本当に大切なのか。なぜ私はおいしさを大切だと思うのか。)
…と考えたら、

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