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知らないうちに先入観の烙印 を誰もがおしている

落ちこぼれとは何を基準にしているのだろう。


人には様々な性格があって、得意なもの苦手なことは違っていて、住んでいた場所も育った環境も千差万別ある。フラットな状態で比べることはできない。生まれたその日からそれぞれの道を歩んでいるのだから。

落ちこぼれという言葉はちょっと苦手だったりする。どんな人にも得意なことはあって、それを活かせているかいないかの差。自分を見せることが上手い人はそれなりに認知できているし、へたくそな人は自分を好きになるところから始めている。

だからわたしは誰かにこの言葉を発することはない。

逆に、不器用な生き方をしている人のほうが人間味があって好意を抱いてしまう。内向的な人はユニークな人が多いし自分には持ってない魅力がある。NOTEでもいろんなセンスが光っていてこんなにも好奇心をそそられるものに久しぶりに出会えた。NOTEを通じて知り合うことができた人もたくさんいてその中でも勉強になったのは誰かの発想も自分に取り込んでいくことだった。他の意見に反論する事なく自分なりにかみ砕いて身につけること。わたしは今まで厳しい意見の中で生きていたので、ひとりひとりのことを尊重する世界に新鮮さを感じた。


コミュニケーションには厳しい意見も必要ではあるけど、人格を否定するような言葉は使わないようにしたい。当たり前のことを言っているかもしれないけど意識しないとふいに口にしてしまうことがあるんだ。人の気持ちを手に取るように理解できればいいけど、そんなことは超能力でもない限り知りえない。自分の思いを分かってほしいという気持ちが先走りつい心ない言葉を伝えてしまう。それほど理解してもらいたいと欲する、一方的な感情に押しつぶされて目の前の相手が見えなくなってしまう。


「落ちこぼれ」「使えない」「役立たず」

そんな言葉でレッテルをつけてしまうのはもうやめてほしい。その人を1つの意見で決めつけてしまうのはあまりにも滑稽だと思う。



2・3年前その子と出会ったのは突然だった。新卒で入職してきた彼女の部門は忙しい場所だった。少しでも効率的に働きたいという雰囲気のなか彼女は劣等生と決めつけられ、時間が経つとともに居場所がなくなってしまう。ある日限界に達した彼女は何もいわずに実家に帰った。話し合いをしてどうにか出勤することになりわたしの職場に異動してきた。

打ち解けるまでに時間はかかったが心を開くと彼女は素朴でマイペースな普通の若者だった。おばあちゃん子だったようでどの患者さんにも「かわいい」と言っているような無邪気な子。そんな彼女がなぜ心を閉ざしてしまったのか私にはわからなかった。
彼女は「何も教えてもらえないのに先輩によく”こんなこともできないの”と言われていた。聞き続けて何もできない自分がみじめでしょうがなかった」と言っていた。

自分のことを分かってくれる人が誰もいないことは本当に苦しいものだと思う。忙しいということで心をなくし放った言葉で彼女はひどく傷ついていた。



言葉には心がある、温度がある、手足がある。
使い方ひとつで誰かを救う浮き輪にもなるし、傷つけるナイフにもなる。わたしがかけてきた今までの言葉にもたくさんの棘があったかもしれない。それほど乱暴な言いかたを使っていた。台詞の乱用は近くの誰かの心をえぐっている。どんなときにも忘れないでいきたい。



出来れば心の灯りをともせる言葉を贈りたい。
先入観の烙印で誰かを殺したくない。



最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!