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正しいと思っている言葉はあなたにとっては正しいけど、私は正しいとは思っていない件について

「こどもは作らないの?」昨日久々に会った友人に言われた。


きっと私に幸福な人生を歩んでほしいから放った言葉なんだろう。私は心の中でまたかぁと思いながらも「そうですね」とごまかし続けている。もう聞き飽きた。30代も後半になってくると、同級生や友人のほとんどは子供を持つ母親になっていることが多い。結婚したら子供を作らないとという義務感があるようで。子供がいない私には言わずにはいられなくなってしまう。あえてそういうスタイルにしていると言ってしまったらきっと子供がいるメリットを延々と聞かされるに違いない。予想通りに「子供がいると守るものが出来て頑張れるよ」と言ってきた。私も知ってます、自分に守るべきものが出来たら人は強くなれるって・・・でもそれは子供に限ったことではないかと思う。愛する人だったり、両親だったり人によっていろいろだと。なんで子供がいないと頑張れないって言いきれるんだろうか。違う生き方を尊重できる社会にならないとこれから私のような人はますます生きづらくなってしまうだろうとお茶を飲みながら考えていた。




人生何が正解かなんてない、私も今の人生がただしいのかは分からない。もう少し勉強ができれば、運動してれば、習い事をしていたら違う人生が待っていたのかもしれない。でもしてこなかったのは全部自分だ。本当に幸せになれるのか不安になりながらも止まっていると追い越されそうになるので今信じているものに突き進んでいくしかない。みんな幸せになることが最終目標のように日々歯を食いしばって生きている。進んでいて、本当に大丈夫かなと感じる時がある。そういう時は人と話をして私は幸せの方向にいっていると確認する。結婚しない人に「結婚しないと」とか、子供を作らない・作れない人に「子供作らないの」とか発言するのはこういう仕組みだと思う。



私は友人が嫌いなわけじゃない、自分の正しい事がみんなが正しいと思っていないことに気付いてほしい。できていない人にとってはプレッシャーになり、傷ついて自分を責めたり、落ち込んでしまうことになってしまうということを。言葉は時に最大の暴力になるということを。あなたには人の人生に責任を持てないのだから。

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