乗り物に乗っている時、私はセンチメンタルになるの
高校の時には自転車で通学していた。まだ車も通っていない早い時間に片思いしている人の大好きな曲がイヤホンから流れる中颯爽とこぎ続ける。「今日は彼とどんな会話ができるのだろう?」とびっきり可愛くセットした髪型は乱れていた。まだ会ってもいないのに期待で胸は躍っていた。帰り道一度も話すことが出来ず遠くから見るだけだった1日の時は歩きながら自転車を進める。落ち込んだ私にあの曲が勇気づけてくれる。彼を感じながら家路にと向かう帰り道。
専門学校には電車で通っていた。いつもの時間にホームに立つ、いつもの人達と並んで。朝の電車は通学や通勤に使う人で溢れかえっている。お気に入りの曲を聞き考え事を巡らせる。落ち込んでいても喜んでいる時も同じ道を通り同じ場所に向かってくれる鉄の箱。その中にたくさんの思いを詰め込んでいたような気がする。楽しそうに友達と話し合う学生。ずっと居眠りしているサラリーマン、メールで大切な人と繋がり続けている女性。みんなの思いを乗せて今日も電車は走っていく。その先の居場所に辿り着くために
社会人になってからは車での移動がほとんどを占める。仕事から帰る時には今日の自分の行動を振り返りながら思いにふける。もちろん運転に集中しながら(笑)その考察があるからこそNOTEにアウトプットする毎日が出来ているのだと思う。時には悔しくて悲しくて職場では我慢していた涙を流しながら帰る日もある。車の中で号泣している女なんて相当痛い。車での1人の場所は辛い思いを吐き出す道具でもあった。
乗り物に乗っている時、私はセンチメンタルになってしまう
この世のすべての不幸を自分が背負っているかのように
悲劇のヒロインを演じる
ドラマで愛し合う2人が分かれるシーン、これまでたくさん見てきた。きっとそのまねごとのようなもの。いつだって人生の主人公は自分だ。だから浸ってしまうのだろう。これっていう明確な事ではない、雰囲気がそうさせてしまう。
遠距離の彼と時間を共にした帰り道、1日を精一杯過ごして疲れ切った身体を運んでくれた時
ふと自分が4割増しになって映っている。
切ない心を持っている自分が綺麗に見える。真っ暗な景色の窓に映る自分、このままでいいのか、どうしていったらいいのかメールの文章を見て考え込む。
乗り物に乗るとなぜかセンチメンタルになっている自分
きっと味気ない毎日にスパイスを加えている
自分の人生飾ったり、編集できるのも私だけだ
平坦な物よりもギャンブルの様にどっちに転ぶのか分からない方が印象的だ。
乗り物という装飾品に加えて心も飾っているそんなところだろう。
この先もたくさんの乗り物に乗っていく
毎回センチメンタルになるに違いない
私の人生は1つのドラマなのだから。
最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!