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続けているのは否定されるため

今日は天気が悪い。そう思いながら洗濯したものを干した。

外に出ると生ぬるい風がわたしの髪をなでる。もう季節は夏に向かっている。暑いと感じる前に足早に作業を終わらせた。涼しい室内に戻って長い息を吐く。1人でいる空間は何の変化もない。Twitterを流し読みして、たいくつな時間を過ごしては、夢の中に移動する。そんな味気ない毎日は可もなく不可もなく平静に過ごせる安全なものだ。

このままで暮らせたらどんなにいいだろう。と思いながらも、世の中からしてみれば自慢できるような生活ではないと気づいている。ただこの温室の中に足を踏み入れたら最後、抜け出せなくなってしまうわたしの弱さを少しだけ分かってほしい。



否定の恐怖

自分の意見を否定されるのが怖い。どんどんわたしは主張する事ができなくなってしまった。それを弱いということで片付けて逃げてしまっている自分がいる。気づけば誠実に人と向き合えないようになっていた。たった1人の大事な人でさえも。

相方とはあまり真面目な話をしない。わたしの話を最初から否定していくからだ。
悩みを打ち明けた時も、悪いところを何個も上げてくる。わたしにとっては聞いてくれるだけでいいのにと、話したことを後悔する。
男の人は同調よりもどう解決できるのかを考える傾向にあると、どこかのサイトで見たことがある。もやもやしている思いを理解してもらえるだけでよかったのに、そんなこともお構いなしで順を追って方法を話している彼の横で違うことを考え、完全にシャットアウトする。想定してなかった心では受け止めることが出来なくて。
そうして真面目な話をしなくなった。

大事な人がわたしのためを言っている言葉なのに拒否反応を出してしまうのは、狭い心を抱えて相手の反応におびえてしまっているからかもしれない。


反動でわたしはこのNOTEにすべての感情を吐き出している。今まで言えなかったことを文字に起こして、まとまらない文章を書き続けている。そんな取りとめのない言葉に向き合ってコメントを残してくれる人もいて本当に温かい人ばかりの空間。投稿する毎日はかけがえのないものになっている。
本当は温室の中にまた身をゆだねているだけなのかもしれない。自分の意見を肯定してくれる、共感してくれる人に寄り掛かっているのだと。

もし、否定されたらこの”NOTE”の空間からも私はまた逃げてしまうのだろうか。


どんなに大切なものでも、拒絶されてしまえば手放してしまう。いつまでも自分と同じ考えを持ち、許してくれる人を探し続けている。


そんな人いないのにね。滑稽だね。



受け入れる包容力

わたしにはなにか感情が抜け落ちてしまっているのだろうか?
考えれば父親は起伏が激しい人だった。いきなり怒って手を挙げることもあった。冷静になってしばらくたつと急に優しくなっていつも謝っていた。急展開な光景に気持ちがついていかないのは毎回で、父親の背中を見ながら”こんな大人にはなりたくない”と思って育った。

わたしも同じように感情があふれて自分でも抑えられなくなる時が来るかもしれない。無意識に、感情を押し殺すことが平穏でいられるすべになっていた。

厳しさが時には挑戦するエネルギーにもなる。わたしは受け入れられない=嫌われるという先入観で伝えることに消極的になってしまった。

わたしのために送られた言葉を大切にしよう。

嫌われる勇気をそだてていかなければ本当の言葉がすくえなくなってしまう。いつかそんな自分に絶望する日が来るだろう。

吐き出せない言葉をNOTEでさらけ出している、まだ直接は怖いからね。


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