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あなたの最期に答え合わせ

仕事に復帰して3週間、毎日通うことにだいぶ慣れてきた。相変わらずすることは同じであるけど職場に行く、ただそれだけでも私にとってはかなりの進歩。再び働けるようになったこの身体に感謝する日々を送っている。


11時頃、以前入院していた患者さんの家族があいさつにやってきた。命の火が消えて退院し、自宅に戻った患者さん。49日の法事を済ませて最期の場所となった病院にやってくる家族は少なくない。看護師として働いているとよく見る光景。

Fa「本当にお世話になりました」

Ns「お父さん(患者の夫)が元気そうで良かったです」

入院していた当時の話や思い出話に花が咲く。入院中の本人の事、いよいよの時の気持ち、家族の今の状況など。家族の方たちはみんな何かが吹っ切れたような表情をしていて、それを見た看護師は自然と笑顔になる。
働き始めた私は全然関わっていなかったので先輩の後ろで頷きながらそのやり取りを聞いていた。主治医は外来患者の対応をしており伺えないということを説明すると

「先生によろしくお伝えください」

と言った。
しばらくナースステーションで立ち話をし、帰っていく家族を見送った。


私も今まで多くの患者家族に対応していたな。


今日の家族を見て思い出す。


人が息を引き取る時、一度として同じ場面はない。急に容体が変化し家族が間に合わなかったり、遠方から来る家族が到着した途端呼吸が止まったり、何日も苦しむ本人を泊まり込みで見守り家族の方が疲れていたり、時には誰も面会に来ず1人で静かに亡くなったり。患者・家族がいる分何通りもの物語がある。
死亡確認をして泣き崩れる家族、淡々とした表情で説明を聞く家族と様々だ。

そして、その場にいる看護師もまたやりきれない気持ちが渦巻いている。
”最後まで精一杯関われたのか”、”もっとできたことはなかったのか”と


その人の「死」に正解なんてない

どんな最期になったとしても悲しく虚しいもの。


患者がいなくなって、心の中に固いしこりのようなものが残る。ふとあの瞬間が鮮やかにフラッシュバックして何度も当時の自分に問いかけるんだ

「あの時こうすればよかった。」

「すぐに連絡していれば家族は間に合ったのに。」と。



最後の家族の挨拶は医療従事者にとっては答え合わせのようだ
家族の言葉・表情を見れることで「あの時の対応は良かったんだ」って思える。泣きながら話す家族を見て一緒に泣いたりして。それぞれの思いが重なる。

心のしこりが消える瞬間、後悔が経験に変わった。

1人の死を乗り越えて目の前の患者さんに真摯に向き合える勇気が湧いた。


触れ合ったこともない家族を見送りながらなぜか私も誇らしくなった。


今日も正解だったんだ。


家族の笑顔がそう言っているようだった。


そう思ってもいいよね?

最後まで記事を読んでくれてありがとうございました!