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「閾」域へ潜行する

篠崎フクシ詩集『二月のトレランス』(土曜美術社出版販売)

 表題の「トレランス」の語句は、「寛容さ・公平さ」の意味。やはり巻頭の表題作が絶品。《ゆき、またゆきが降るのか、二月》との冒頭の詩行イメージが、白を基調とした表紙デザインに顕著に反映され、本書全体を覆って過不足がない印象を持った。
 詩風は清純風な恬淡の、静謐さが「隙間」時間を敲いていた。私のこの「隙間」意識とは、稠密な日常の硬直した壁面から覗く亀裂であり幻想的時空間のことで「詩」の異称ということもできる。《ののしりは/此岸にふるとおりあめ//(中略)//救済のこえに、背をおされ/彼岸に斃れこむのはだれか》(『とおりあめ』部分)。また、《地上の塵をはらい/あるかなきかの》(『曳航する風に』終連)にみられる体言止め多用による余情・余韻の残響も尾を引いて圧倒的である。それは終結の忌避であり留保で、動態重視という価値観を照射する主体の姿勢が露頭した箇所と考えて良い。『あとがき』で示唆する、作品主体の本質的な事柄にも通じた言辞「無心でいること」「仕事や日常の葛藤」「繋がっている…」等の、ある種モラトリアム期特有な結語留保の態度こそ詩的空間の別称であり、「閾」域へ潜行する詩的行為なのだといえるのではないだろうか。

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