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「宗教家」ではなく「確率家」

2月8日のゼロックス杯を現地で見てきた。おそらく現時点Jリーグで2強と言えるチームの激突なのだろう。所詮シーズン開幕前の興行試合のはずなのにインテンシティは高いわ神戸はプレス原則をしっかり整えてくるわ得点は沢山入るわで、マリノスロスと化していた僕にとっては充実以外の何物でもない最高の試合だった。

試合について振り返る前に、まず両チームの「試合に対する考え方」は明らかにしておかないといけない。
ヴィッセル神戸はこの試合、「対マリノス」として明確なプレス原則をひいていた。なおかつ古橋、山口、そして高徳と言ったミドルゾーンにいる選手たちの運動量も素晴らしく「準備しているな」と感じた。
対してマリノスは、ヴィッセルの事など試合前はほとんど意識してなかったように思えた。またGKのパギも極端にロングボールを避け(昨季終盤はそれなりに用いていたのにも関わらず)陸の繋ぎを意識していたと思う。
なぜか、それはマリノスの考え方の根底として、あくまでこの試合は「勝っても負けても所詮賞金1000万円の差しかない親善試合だから」というものがあるからだと僕は考えた。
自分たちがやりたい事を明確にした上で苦しんだ前半の戦い方を1000万の価値を持つ情報量として扱うことができれば、別にこの試合の勝敗なんか「どうでも良い」と考えることが出来るかもしれない。事実マリノスは90分通してそのような戦い方をしているように見えたのだ。
分かりやすく言えば「相手どうのこうのよりも、自分たちがどう攻めるかだけを考えた」ようなサッカーをしていた。

ここまで読んでみて勘の良いみなさんなら気づくだろう。全ての話は「たられば」の上で進んでいる。

・もし神戸も対してプレスを仕込んで来なかったら?
・もし圧倒的なまでにボコられ、選手の士気が落ちるような試合になったら?
・エリキのLWGが絶望的であることが明らかになったら?
・スタメン選手の誰かが怪我を負ったら?

などなどと基本、サッカーというスポーツは「確率の上」の物語である。どれか一つでも現実になってしまった時、この試合はいわゆる「捨て試合」になってしまう可能性があった。スタメンで特に重要な選手が怪我をするのが怖いから喜田や畠中は下げたのだろう。全て「先の事を考えた」行動である。

その事を踏まえて今日の試合を振り返った時、ポステコグルーはずっと宗教家だと思って観てきたのだが、それよりも自分の思い描いた絵がピッチ上で描ける確率が高い物を選択するという、言うなれば「確率家」であるとして考えた方がしっくりくる気がしたのだ。
この違い伝わるだろうか。自分の思い、願いが根底にあることは宗教家と確率家では何ら変わらない。だがその根底を現実に持ってくるとき、彼はとても現実的に考える癖があると思っている。
「非情に切り捨てる」のだ。選択肢を、可能性を。
「受け入れる」のだ。サッカーに絶対など無いことを。

試合の話に戻ろう。ゼロックス杯の前半、僕は見返せば見返すほどにこの時間の重要性を感じてならないのだが、みなさんに聞いてみたい。

「ゼロックス杯の前半、非常に2018年のマリノスを感じなかったか?」

ティーラトンってあんなに中に絞ってたっけ?パギってあそこまでグラウンダーで繋ぎに行ったっけ?松原健ってあそこまで無理矢理仲川へのスルーパス出してしかも失敗してたっけ?CFってあそこまで律儀に相手CB間に張り付く必要あったっけ?

考えれば考えるほどゼロックス杯は「敢えてリスクを犯していた」ように見えてならない。

オナイウが伊藤翔に見えたのもそのせいかもしれない。もしかしたらポステコグルーは選手に細かく指示してルールで縛っていたんじゃないか。

僕は前回のnoteで2018のポステコグルーは「宗教家」なりに敢えてルールで選手を縛り、失敗させてみることで新たな知見を選手に与え、自分で考えさせる自主性を植え付けたと書いた。
前半のマリノスには「新しい布陣」の要素が強かった。CFにはオナイウ。LWGにはエリキなどと。

(因みに前半はそのせいでボコボコにされたかと現地で観た時は思っていたのだが、家に帰ってもう一度見ると実はそこまでコテンパンにはやられていなかった。2019の後半戦と見比べてしまったからこその感想だったのだろう。これは選手の個の能力によるものが大きいと思うので今回は触れない。)

オナイウは前半10分まではポストプレーや自分で裏抜けしてのシュートなどある程度「魅せて」いたと思う。だが時間が経って徐々に消えて行った印象が強い。僕はこれを「言われた通りにやってたら相手のDF陣に対応され始めたから」だと推測したい。
そんでオナイウは「元から予定していた」ハーフタイムでの交代を強いられ、エリキを中央にした「去年の形」に戻し、2得点奪う。極め付けにはエジガルをCFにいれ、和田(三好とタイプが結構被る)をボランチに置いた去年みたいなシステムを見せた。なんか物凄く「オナイウへの授業感」がないだろうか…笑

そんなこんなで前半だけでも今季のマリノスを占う大量の情報があったはず。それはハイプレスというマリノス対策を、しっかりと実行してくれた神戸にも感謝しなきゃいけない。だがそれは全て「結果論」である。
だからこそ実はポステコグルーはこの試合にそれほどの不安は抱いていないんじゃないかなと思っていたりする。
勝ちにいくよりチームの完成度を上げる方に尽力した方が良い。それがポステコグルーの選んだ「確率に基づく決断」であり、去年の布陣(マテウスの所に渓太を入れたもの)で行けばほぼほぼ勝ちは見込めるが、それじゃ今シーズンずっとは勝ち抜けない。それを現実的に見てるからこそポステコグルーは敢えてカオスな前半を作り出した気がする。
そして2失点目に繋がるチアゴのミスの様に「規則通りにやってるだけではいずれ相手のプレスにハマる」ことを再認識させたいわば教科書通りの結末も見れた。偽SBを使いすぎて中盤が渋滞しショートカウンターを受けることも出来た。監督にとって全て「見せたいものが見れた」様な気がしてならないのだ。

この次の試合(ACL)ではどうするのか、流石に僕には予想がつかない。この試合を教訓にハイプレスを回避できていたら僕はもう笑うしかない。そんなに簡単にいかないのがフットボールなのだが。

とにもかくにも、最後に一言だけ言わせてもらいたい。

「ポステコグルーの2020初陣は、試合には引き分けたが確率というものとの博打には勝ったんじゃないだろうか」と。


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