こんな日は間違ってしまう

noteを毎日書かなくなって、なんとなく毎日が慌ただしく流れていって、気持ちがずっと落ち着かなくてざわざわしている。前だったら捉えきれていた解像度で、物事をメモしていたはずなのに今は無視して一瞬の感情に押し流されている。書かずにはいられない、はずなんて思っていたのはただの幻想だったのかもしれない。

あっという間に涼しくなって、9月が去ってひとつ歳をとって、楽しみなことと不安なことが重なってひとりになる時間が少ない。進んでこれを食べたい、この曲を聴きたい、って思うことが減った。それでも「この人の文章が読みたい」って気持ちはなくならないから、私のいちばん大事なところにあるんだろうなってぼんやり思う。何があっても捨てたくないのは本棚と集めた本だった。他人からしたらきっと大したことのないものを、後生大事に抱えて生きていくんだろうな、って。それが私だから、曲げられない。柔軟に頑固で在りたいなんて矛盾しているよね。

心のなかで、頭のなかで、「ごめん」ってずっと思っていたら壊れちゃう気がした。言葉は重い、誰かにとってはすぐに消えていくものでも、言われたほうは残っている。良い意味でも悪い意味でも。だから言えない言葉がある、簡単に返せない言葉がある。怖い、という気持ちが勝つ。
嬉しいときにも、LINEでさっと送ってしまうんじゃなくて手紙で届けたいな、直接伝えたいな、と思う人たちがいる。思い返してじんわり温かくなるような時間をずっと忘れずに冷凍保存しておきたい。でも、それは難しいから文章を書く、私は私のために書いている。すぐに忘れてしまうから。新しい気持ちに押し流されてしまうから。目の前で笑う人の顔を忘れたくないな、って思っても別の感情が訪れたときに負けてしまう。もう少し、強くなりたいなってその度に思う。伝えることを諦めないでいたい、分からないから知りたい、怖がってないで伝えなくちゃな、ってぐるぐる考える。

意固地になったとき、気を遣うとき、その事実すらも認めたくないとき。肺の中が嫌な気持ちでいっぱいになって、マイナスな感情で体が地面より下に沈んでいる。大抵は低気圧のせいにして乗り切るけれど、たまに上手くいかないときもある。信じるって怖くて難しい。たまに思う、ぱちんってシャボン玉みたいに綺麗に消えてしまえたらいいのにな、って。人間は誰にも迷惑をかけずに行方不明にはなれなくて面倒だ。生まれ変わったら野良猫になりたい、、話が逸れた。言いたいことが言えない自分が嫌いで、堂々巡りで、逃げたってどこまでも追いかけてくる。私を傷つけられるのは、私が大切に思っている人だ。それ以外の人たちからは何を言われてもあまり傷つかない。だから、そういうことになったら結構ぼろぼろになる。大人になりなよ、って自分でも思うくらいに。意味はいらなくて、共感もいらないから、そうなんだねって受け止めてほしい。違うってことだけを受け止めて生きていくしかないんだと思う、結局。同じになれる日なんて来ないし、面白くもないから。

1年前と全く違う世界にいる今の私を好きでいられるように、せっせと働いて行動して、悔しいも辛いもひっくるめて抱えて前に進みたい。煮詰まったらお湯につかってリセットする。会いたい人からパワーをもらって充電する。自分の機嫌を自分でとる訓練は、27歳でも鋭意継続です。そして、やわらかくしなやかな言葉を使える人になりたい。強い言葉じゃなくても届くはずだから。28歳までにまた見える景色が広がっているように、今はやれるべきことをやる。決意表明みたいになったけど、おしまい。明日は久しぶりに銭湯に行こう。

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