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自分以外の誰かに、巻き込まれて生きていく【#キナリ杯】

わたしの好きなもの。日常、まいにち。
なんでもないおしゃべり、ポストに届いた手紙を開けるわくわく、本屋さんで見知らぬ世界と出会うこと、aikoのライブで筋トレ?ってくらい飛び跳ねて汗だくになって笑うこと、年季の入った居酒屋でお酒を飲むこと。休日に開け放った窓から入る風をあびて本を読むこと、川を散歩すること、舞台を観終えたあとに現実との境目が曖昧になる時間、日々に花やおやつを加えること、誰かの昔の話とこれからの話を聞くこと、心地よい文章を読むこと、会いたい人に自分の足で会いに行くこと。まだまだ書ききれないほどたくさんあるから、幸せだと思う。

いちばんは、自分以外の誰かや何かに、巻き込まれてみること。
そして、面白がりながら観察してみること。

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大学まで鹿児島で過ごし、最初についた仕事は不動産の営業だった。引越を考えている人の希望と現実を照らして、お部屋探しをする人。学生時代、地元のショッピングモールに入っているイタリアンレストランでアルバイトをしていたけれど、「不動産ってことはイケイケなおじさんが上司になる」と考えた当時のわたしは、「おじさんに慣れなくちゃ!」と思った。誰かに合わせて笑顔をつくることなんてできないお子ちゃまだった。大学4年の夏の雨が降る日、水たまりをよけながら面接に向かった少し肌寒い温度を覚えている。その場で採用が決まり、希望した居酒屋で働きはじめた。

その店にはお客さんの昇進システムがあり、説明のために必然的にお客さんと会話しなければならなかった。全国チェーンではあるものの、その地元の店は明らかに独特の文化があって、雰囲気と、料理長の気概と店長の底抜けの明るさが好きだった。ファンになってくれた常連さんたちは焼酎のボトルキープが当たり前で、女性グループでもスタートから焼酎セットを頼まれたのに最初は驚いていたけど、すぐに慣れた。
そこで、わたしは40歳のお姉さん(見た目は若くて、言われるまで年齢不詳だった)と出会った。名前をSさんとしよう。

お店に何度か来てくれるうちに顔を覚えてもらい、aiko好きということがわかって意気投合して、連絡先を交換した。
ある日の夕方、かけもちしていた別のアルバイトの終わりに「会社の同僚のおじさんたちがバンドの演奏するんだけど見に来ない?」とお誘いがきた。わたしたちはその時点ですごく仲良し!というわけでもなかった。でも、なんだか面白そう、と二つ返事で待ち合わせ場所に向かった。

それから、飲み会があるときはさらっと声をかけてくれるようになり、行けるときも行けないときもあったけれど、ずいぶん可愛がってもらっていた。
Sさんと話せば話すほど、今までわたしのまわりにはいなかった大人だなぁ、と刺激を受けた。彼女は地元を出て東京で社会人生活を謳歌し、いろいろ経験してまた地元に戻ってきた。(話にさらっと出てくるのがインド人の同僚や、かなり年の離れたお友達。全く鼻にかけるようではなく、いたって普通に登場する。なんじゃそれ、とツッコミながら聞いている。)
わたしは鹿児島という場所で生まれ育ち、なんとなく地方ならではの同調圧力と窮屈さを感じていた。(もちろん、わたしがそうじゃない人を知らなかっただけ。)だから、こういう年の取り方があるんだ、と感じられるだけで不思議なパワーをもらえていた。

今でも、鹿児島に帰るときは真っ先にSさんに連絡する。わたしたちは、親より先に会う約束を取り付けるともだちになった。

1000字も使って書きたかったのは、人生で初めて「この人に巻き込まれてみよう」って思った瞬間は、このときだったということ。
Sさんからの最初のお誘いに乗ったとき、直感的に、「飛び込んでみたら面白そう」って感情が湧いた。それに素直に従って行動してみたら、さらに新しい人に出会えたり、知らないことに出会えたりした。
のちに、あのとき本当に来てくれると思わなかったよ〜とSさんは笑っていた。フットワーク軽いほうが、人生たのしいかもしれない。自分の足で、自分の目で体験したい。それが楽しいことや嬉しいことばかりじゃなかったとしても。

社会人になって、憧れていた東京に出てきて、今年の4月で6年目。
引越をして、転職も経験して、出会う人たちも変わった。それでも変わらず付き合いが続いている人もいて、何度も「巻き込まれてみたい」って人と出会ってきた。

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この感覚に味をしめたわたしは、恋愛面でも巻き込まれ精神は変わらなかった。自分以外の誰かの生活を知り、趣味を知り、日常が溶け合うのが心地良い。
今年の5月から1年ほど付き合っていた恋人と一緒に暮らし始めた。彼とは職場で出会い、真面目な人だな〜〜わたしみたいな“普通ってなんだよ”っていつも世の中に怒っているようなタイプは嫌いだろうな〜〜〜と一定の距離感を保っていた。なんなら50名ほどの会社で把握できるだろうに、入社1ヶ月経ってようやく存在を認識した。ごめん。
彼と暮らす毎日を無意識に観察して、本人も気付いていないような日常の癖を発見してにやにやするのがたのしい。(変人っぽいけど。)

ちょっとだけ彼の変なところを聞いてほしい。もちろん読み飛ばしてもいい。
なぜか片足だけ裾をまくる。長ズボンなら、暑いのかなと思えるけど、彼は半ズボンでもまくる。調子がいい時は両足まくっている。ほぼ下着みたいになっちゃってるよ、とつっこみたくなる短さ。
あるときは、2人分のスリッパを片足ずつ色違い(青と緑)で履いている。残りは近くに散らばっている。どうしてそうなった。
パジャマを前後逆に着る。調子がいいときは、裏表も逆に着ている。正解がもはやそっちかもと思えてくるから不思議だ。(タグが嫌で、そう着る人もいるよね、わたしの父はそうだった。)
歯磨き中に両手を使って踊り出す。歯ブラシは口のなかにくわえられたまま、そこにある。歯磨きの概念が変わった。
恐竜みたいなあくびをする。(決定的瞬間を捉えた写真を載せたいけれど、確実に怒られるので割愛。)わたしのカメラロールは個性的な寝相の写真であふれている。

いまだに自分が他人と暮らせると思ってなかった、と彼から言われる。あまり他人と暮らしている感覚がないくらい、自然に生活している彼をながめていると、昔おばあちゃんの家で飼っていた犬を思い出す。何をするでもなく一緒にいた時間。犬のお腹が動いているのを、おばあちゃんの声を耳で追いながら昼寝をしているのを、見ているのが好きだった。この生き物はなんて愛おしくて面白いんだろう。そういう感覚で、彼と暮らしている日々は、平凡な日常だけれど、わたしにとっては特別で幸せ。

家にあるだけのお菓子をすごい勢いで食べ尽くされてしまっても、怒るより先に、笑えてくるから不思議だ。ひとりで暮らしていたらあり得ない出来事がたくさん起きる。それが、たのしくてうれしい。

もちろん、喧嘩して言い合いもするし、不機嫌にもなる。
でも、「おもしろいものって面倒臭い」って、三谷幸喜さんも言ってたし。だからわたしたちは話し合いの練習中だと割り切り、お互いを観察し、自分自身とも格闘している道半ば。
巻き込まれると決めたなら、とことん面白がる。知れば知るほど、面白く感じる部分がどんどん広がっていく。

これを読んでいるあなたがもし、「巻き込まれてみてもいいかも」と思う瞬間に出食わしたら、「こわい」「失敗するかも」って気持ちを乗り越えて飛び込んでみてほしい。なぜならば面白いから。それだけなんだけれども。
予想もしなかった道を歩いていると、予想もしなかった人に会える。手を伸ばさないと、わくわくする瞬間は自分の手でつかめない。

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わたしたちは、今年の11月に家族になると決めた。
これぞ、究極の“巻き込まれてみる”だ。

わたしの人生に巻き込まれると決めてくれて、ありがとう。
これからもいろんなことを面白がって、一緒に歩きたい。

嫌いな日があっても、全部ひっくるめて好きだから。いつも100じゃなくていい、10とか50の日があってもいい。それでも、関係性を築きあって努力して、飽きるまで一緒に居られたらな。
好きな人も、仕事も、モノもコトも、こんな風に関わっていきたい。縛られず縛らず、予期せぬ偶然とごちゃ混ぜを面白がって、見られなかった一面を見て驚いて馬鹿だねって笑おう。
2019/4/8のnoteより)

わたしの好きなもの。
自分以外の誰かや何かに、巻き込まれてみること。
そして、面白がりながら観察してみること。

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