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わがままにこれからも生きていこう

体が、生き返っていく感覚。窓の外を斜めに流れていく雨粒を眺める。今日は、無闇にSNSや飛んでくる通知を見ないと心に決めて、福岡行きの飛行機に乗った。明日は友人の結婚式だ。

旅のお供に、夏生さえりさんのエッセイを読む。27歳から28歳までの1年間が綴られていて、あとがきが書かれたのは29歳を目前に控えた日付だとあった。数日前に27歳になった自分と重なる。少し途中でうたた寝しながら、目指す場所に着くまでに読み終えた。
雨が上がったあとの秋の空みたいな気持ちで、雨が降る見慣れない街を歩く。帰ってきた、という感覚には遠い、けれど知らないわけでもない街。その距離感は私にとって心地良い。

想像力を持ちたいけれど、度を越すと傲慢になってしまう。自分以外の他者へ想像力を働かせつつも、決めつけない。分からないから、知ろうとすることを止めない努力をしたい。ふれて、聞いて、伝えて。
aikoの「だから あなたの肌を触らせてよ わからないから触らせて」頭の中でアルバムの最後の曲が流れる。暴走してしまう、波が寄せて返す、抗えなくて飲み込まれてしまう。自分の機嫌を自分でとれなくなって、近しい人を巻き込んでしまって、そのことにもまた落ち込んで。

全部、自分の尺度でしか測れないならば、勝手に想像して寂しくなるのはやめる。どんなに分かったつもりになっても、相手の本当の心のなかは分からない。思い浮かべて、行動をなぞって、愛だなって思うことをお守りにしてみる。違うってこと、面白がって、“ふたり”で居られたら。

さえりさんの話なのに、気が付くと頭の中で自分の日常とリンクさせている。大切な人が浮かぶ。少し涼しくなった8月の終わりに、古着屋で真鍮のゴールドの細い波線を描く指輪を買った。洗い物をしても多少乱暴に扱っても寄り添ってくれるとお店の女性に太鼓判を押されて、金額より重い気持ちでそれを身に付けた。見るたびに思い出す、それは勝手な決意の形。大それたものじゃないけれど、自分で意味付けをしたら、大切なものになった。

未来の話は苦手で、目標を立てたり将来の姿を想像したり、先の旅行の計画を話すのも得意じゃない。勝手に、不安に刹那的になってしまう、それは一旦仕方ない。けれど、自分で意味付けをして目の前の日々を生きる指針にすれば、少しだけ未来を見るのも怖くない。
1年前と今、私は確実に違う場所にいる。不満ばかり頭の中で思って、誰かに変わってほしくて、自分は変われなくて燻っていたあの頃よりも少しだけ、自分のことが好きだ。
まだまだ健全にモヤモヤしているけど、それを前提に、「じゃあどうしよっか?」って考えて行動できる生活を得られていることが幸せだ。ゆらゆら、揺らいで自分に自信はないけれど、自分の心が違和感を感じることをなるべく解決できるように、そのまま見過ごさないように生きられている気がして嬉しい。

27歳、私は大人になってしまったのだろうか、遠くまで来てしまったのだろうか。ほしいものはほしいって言わないと手に入らないことも、正解はひとつじゃないことも、大人がそんなに完璧じゃないことも知っている。少し離れた席でテスト勉強をする高校生カップルの博多弁を聞きながら、流れる時間にただ身を任せている。日常と切り離された場所にいる、今この瞬間、大事な人たちが幸せだったらいいな、ってふと思って写メを送る。
 #毎日 #なんでもないこと #ゆれここ

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(誕生日に普段行かないお店でご飯を食べたときの、それっぽい写真)

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