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私の行動は「正直」か「わがまま」か

サクちゃんの「正直であるためには、誰と一緒にいるか」というnoteを読んで思ったことを書く。ちょうどお正月休みに、note中にも引用されている平野啓一郎さんの「私とは何か 個人から分人へ」を読んだところだった。

自分も正直でありたいし、正直な人がすきなんだけど、それはどんな人のことかというと、単にウソをつかないとか隠しごとをしないというだけではなく、思ったことを全部口にしてしまう人のことでもない。
正直な人とは、自分の感情、欲望、知と無知を過不足なく捉えていて、他人にどう思われるかどうかで自分の考えや振る舞いが変わらない人のことだ。

社会人になってから、常に正直で在りたいと思うようになったし、そう在ることが難しい場所には長く留まることができなかったという過去がある。でも、わがままと正直の違いって本質的に理解できていなかったかも、と反省した。

誰と一緒にいたいか、どういう自分が好きかを考えて転職活動をした去年で、実際に環境も関わる人も変わって、平野さんの本でいうところの”自分の分人をひとつずつ考えてみて、誰といるときの分人が好きか?そこを足場にして生きていけばいい”っていう考え方がすごくしっくりくるようになった。

職場だけじゃなくて、友人も、SNSで情報を得たいと思う人も、ゆるやかにではあるが変わったかもしれない。(だから私のSNSはものすごく平和で、ある意味偏っているかもしれないけど嫌な気持ちになることがほぼないタイムラインだ)

正直であることにエネルギーを割く人といることで、好奇心が満たされることも実際ある。じゃあその自分が好き?と聞かれると心から肯定はできなくて、いやでも自己肯定感低いし、私なんて、、、と卑屈になってしまうこともたまにある。感情迷子だ。笑

平野さんの本で、希望だなと思ったのは”10年前のあなたと、今のあなたが違うなら、それは付き合う人が変わり、読む本や住む場所が変わり、分人の構成比率が変化したから。個性とは決して生まれつきの生涯不変のものではない”というところだ。
「変わったね」とお互いに言ったり思ったり、大学時代の友人の前で気負ってしまい思っていることを主張せずに曖昧に濁してしまったり、そういうことも生きているなかでは自然だし、誰も悪くない。一緒にいて心地いい関係を築ける人を探し続けて生きることを決めたら、私といるときの自分が好きだなって思ってくれる人がひとりでも増えたら、本当に幸せな人生だ。

サクちゃんのnoteを読んだあと、いつも考えさせられることも多いけど、心のなかがじんわり温かくなる。そういう文章に出会ってふれることができることも、正直であるための力になっているんだな。いつもありがとうございます、と伝えたくなった。

私のこの行動や思考は「わがまま」か「正直」、どっちかなって考えてnoteを書いて定点観測したり、誰かと話すことで壁打ちの時間を作ったりしていこう。

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