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ほしいもの、大切にしたいもの

私が大切にしたいもの、一体なんだろう。
まるごと、好きな人たちを抱きしめることができる力。
想像力を働かせて自分の「知らない」「分からない」を許容できる力。
そういう人が増えて、いろんな人の息が吸いやすい場所が少しでも増えること。柔軟、決めすぎずにちゃんと揺らぐ、知りたいと思うこと、違うってことを認め合えること。

ある意味で主語は大きくない。でも、大きな意味で捉えてみんなが幸せになったらいいのに、ってことはすごく思う。私だけが何かを得たいとか、上にあがりたいとか、自分の会社だけが、って思う価値観が欠如していて、社会全体として素敵なお店が増えたり、選択肢が増えたり、最善を選べるようになったりしたらいいのになって思う。綺麗事で絵空事なのかもしれないけれど、それを現実に叶えている格好良い大人たちの話を聞いて、目の輝きと静かな熱に憧れているから、できるはずだって信じているし、そういう未来を作りたいって思う。(未来の話は苦手な私でもそう思う)

私がほしい力、知識、立ち居振る舞い。誰かが苦しいときに圧をかけずにほしいものをあげられること、そばにいること。私が何かをできなかったとしても、その人にとっての最善を探す手伝いができること。なんだか全部他責じゃないの?って思われるかもしれないけれど、自分のことを変えられるのは自分しかいないし、強制力もいらないと思っている。私は私が変わりたくて変わるし、それでもどうしようもなく変わらない部分だって持っている。他の人もみんな、それが輝いている、違うってことは嬉しくて面白い。熱が入るポイントも、仕事の仕方も得意も苦手も、全部同じだったら面白くない。こんなにごちゃごちゃした世界になっていない。

話が逸れた、だから誰かが変わりたいと思う時や苦しいとき、その人自身が在りたい姿に戻るために何ができるのかを一緒に考えたり、パズルのピースを渡してあげられる人になりたい。何かを「やってあげる」なんておこがましいし、本来隠れているかもしれないけれどその人自身がやりたいこと(自分ベクトルじゃなくても)をやったらいいじゃん、ってどこまでも思うから。でもね、そのためには今の自分だけじゃできることが限られている。私は、私のままで在りながら、私を超えていろんなことをやっていきたい。

格好良いことは全然言えなくて、嘘が苦手で、言葉にうるさい私だけれど、大事にしたいものの輪郭が、何度も嫌というほど考えるうちに浮かび上がってくる気がしている。
好きとか嫌いを言語化する訓練もしていく、たとえばaikoのライブとカクシンハンの舞台、著者イベントや複数人のトークイベントは、私にとって「場」を共にして体験することで、きっといちばん好きな体験だ。某テーマパークに行くより、人間の化学反応が楽しい。そこにいちばんお金をかけている。洋服や美容室も、体験と紐づくとお金を惜しまず使ってしまうことが多い。逆に旅行は、観光地を巡らなきゃ!とかそういう達成意識が働いてしまって疲れちゃうことが多いから、あまり頻繁に行くこともないし、それよりは東京の行ったことない町を散歩するほうが発見が多くて楽しい。

何か法則性があるはずだし、説明できない好きも、頑張れば説明できそうな嫌いや苦手も、今までは抽象的な言葉でざっくりまとめてしまっていたけれど、そこをしつこく考えて言葉にする訓練をやってみたら、世界の解像度が上がるんじゃないのかなって勝手に期待してやってみることにします。

蝉が鳴いてるね、夏だね。クーラーの効いた部屋から聞いている分には、平和。外に出たら一瞬で溶けてしまいそう。

#なんでもないこと

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