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「その人自身」と向き合える私で在りたい

今朝、篠田さんのnoteと、そのなかで紹介されていた記事を読んで思った。
わたしは男とか女とか、そういうものを取っ払って、目の前の「人間」を見たい。“女友達とは2人で飲みに行ってもいいけど、男友達はだめ”とか“女の子/男の子らしくしなさい”とか“飲み会に女呼ぼうぜ”とか。そういう数々の何気ない言葉にふれたとき、「人間」を見てほしい、その人自身に向けた言葉を選んで伝えてほしい、って思いが浮がびあがってくる。

このハフポスの記事に登場する家族の話も、「男子大学生」だからじゃなくて「松田くん」だからこそ、いい関係性が築けているのだと思う。相手に対して向き合う、幾重にもかけているめがねを外して「その人自身」を見つめる力を身につけたい。
「母/父だから」「妻/夫だから」とか、そういうものからも、みんなが自由になれればいい。その立場が力になることがあるのももちろん分かっている、それに苦しめられることがないような社会になったらいいなと思う。わたしがほしい社会は、そういう違いとか全部完璧じゃないところも面白がれる社会だ。じゃあ、何から小さく始めようか?

この本を読んだときに痛烈に印象に残っているのはあとがきだ。この本に出てくる「男」たちには名前が与えられていない。ジェンダーについて話すとき、虐げられてきたと思うあまり「女」たちの力が増し、男性へ攻撃的になってもいい、というのはまた違う。時代の力、教育の力、体験してきたことによって、悲しくもあり嬉しくもあるが、思想は変わる。どういう体験を積めばできるだけフラットでいられるのか、自分自身を強くもって他者を簡単に判断しないでいられるのだろうか。

まず、できることは知ること。たくさんの選択肢が、ケースがあることを知る。正義がひとつではないと理解すること。
そしてそれを発信していくこと。そのあとは?考えて、小さくてもいいから行動しよう。

#毎日 #なんでもないこと

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