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理解し、自分の意見とすり合わせ、質問すること

スペインの新聞社El PaísがWHOの会議を生配信していたので、聞きました。夜中ですが、特に情報の迅速さと開放性に感銘を受けて聞くことにしました。

まず注目したことはスペインの新聞社にもかかわらず、英語で行われていた会議がそのまま生配信されていたこと。コメントの中には翻訳をつけるべきだとの意見がいくつかありました。しかし、多くの人は英語を理解するのでしょうか。会議中積極的にコメントが更新されていました。

次に、少しボケた感想ですが、国連関係者は英語が流暢だということ。当たり前のことだとは思いますが、英語を母国語としないであろう人々による英語の会議を聞くのが久しぶりだったため、大学院時代を思い出して懐かしくもなりました。

その大学院時代を思い出してさらに感じたこと。日本人学生はどうしても発言が少ないと言われがちでしたが、自分も例外ではなく。教育システムや教育環境によって我を出すことが苦手となった日本人ですが、それができない理由を考えてみました。それは、タイトルでつけた「理解し、自分の意見とすり合わせ、質問すること」の三つができていないからではないでしょうか。前述したものの、日本人全員を一般化するようなことは私には言えませんが、少なくとも自分にそれらが欠けているから議論で発言ができないのではないかと思ったのです。もちろんそれが議論する上で必要不可欠でそれができないことが致命的であるということは重々承知の上です・・・(涙)

しかし、それらの力を養う訓練のようなものがあればこれから身に付けていきたいものです。そのために、語学力を向上し、日頃から問題意識をもって知識や情報を収集することが大切であると思いました。

文献レビューをして論文を生み出すことは木の成り立ちと同じであることを聞いたことがあります。枝先が分かれているように見える知識も元をたどれば一本の幹につながるということです。見かけは様々な事実であっても一つの真理が存在し、それを見つけなければいけない。それを聞いて15年程経った現在、このように理解します。

WHOの会議から、学生時代の回顧録になってしまいましたが、この投稿を通じて大切なことが思い出せて、また改めて考えられてよかったです。



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