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ヨーロッパ旅の記録〜ベルギーの旅3〜

"2017年7月24日〜9月18日まで ヨーロッパ8カ国を旅した記録"

8月16日
Danielから「Liègeで面白いお祭りがあるから行ってみないか」と提案があった。Liègeとはベルギーの東に位置する、オランダとドイツとの国境近くにある街だ。
どんなお祭りなのか、インターネットで調べた。
「Matî l’Ohêという名の骨の葬儀があるから参列者は黒い服を着用、セロリを持参するように」とのこと。それ以上のことは何も書いていない。一体どんな祭りなのだろう。とりあえず指示通りに、Danielに黒いシャツを借り、冷蔵庫にちょうどあったセロリをカバンに入れ出発した。
ブリュッセル中央駅から列車で一時間ちょっとでLiègeに着く。駅を降りても人は少ないし、本当にお祭りがあるのだろうか?
会場までの道すがら水族館を見つける。まだ時間もあるし、Danielは大の水族館好きらしく、入りたいと言うのでしばらくそこで過ごすことにする。水槽の魚を見ながら、「僕はもし人間じゃなかったら魚になりたい」「だからあなたはプールで泳ぐのが好きなのね」とそんな会話をした。Danielはいつも面白いことを言って私を笑わせてくれた。彼はあらゆることの知識が豊富で、会話もウィットに富んでいる。多くの日本人は英語が話せない、特に私は英語の理解力が乏しいことも彼はわかってくれていたが、決して話す速度を緩めない。流暢な英語を聞き取るのに苦労したが、そのおかげで少し耳は鍛えられたのではないだろうか。
水族館を後にし、お祭り会場である市街の方へ歩くと、ちらほら黒い服の人たちが見え始める。それも本当にお葬式に参列するような正装なのだ。ますますどんなお祭りなのか、疑いとワクワクが高まってきた。
市街へ出ると、既に祭りの雰囲気だ。黒い服を着た人たち、中には女装をする男性や魔女のような格好をした女性など、半分仮装パーティーのような感じだ。そして、全員手にはセロリを持っている。どこからかバンドの演奏が聴こえてきて、皆その音の方へ連なって行進を始める。音楽は、底抜けに明るい曲調と、わざとらしく悲しい曲調と二種類が交互に演奏される。この地方の民謡だろうか。音楽に合わせ群衆は、明るい曲調のときはセロリを振りながら踊ったり叫んだりする。悲しい曲調のときは隣の人と手を取り合って声を上げて泣く。そしていよいよ主役である故Matî l’Ohêが司祭に導かれてやってくる。Matî l’Ohêの棺が通ると人々はますます声を大きくして泣く。私も他の人に習って同じようにした。周りの人と同じように泣いたりセロリを振ったりしながら、街中を歩き回り、時折ビールを飲んだりして休憩する。みんなと同じようにして気付いたことは、この祭りの一番の目的は、人々と時間を共有することにあるのではないか、ということだ。その中には喜びや悲しみという感情も含まれる。もちろん、この祭りでは喜びや悲しみという感情をイミテーションとして人々は表現する。たとえフェイクでも、感情の種や熱を発露すること、日常と離れて自由になることこそ、彼らの表現活動なのだ。骨の弔いやセロリにどのような意味があるのか、またはないのかは結局わからなかったが、この際それはどうでもよい。ヨーロッパでは、隣人と共有する時間や場所やシチュエーションが最も大事にされる。私がヨーロッパにいる間中、一人になることが少なかったのは、いつも誰かが時間を共有してくれていたからだ。
周りを見ると、東洋人は一人もいない。近くの人が珍しがって「Chinese?Japanese?」などと聞いてくる。あるおじさんは、「日本に良い土産ができたね」と言ってくれた。そうだ、今過ごしているこの時間が思い出という土産なのだ。セロリを振りながら街頭を歩いたのも初めてだし、骨の葬儀に参列したのも初めてだし、途中で飲んだベルギービールや、Liègeの郷土料理やスイーツも格別に美味しかったし、来てよかった。
日も暮れて暗くなった頃、川岸に座り、Danielが肩に持っていたギターを取り出し歌い始めた。この美しい時間も大事に持って帰ろう。

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