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2021年ライターたちとの出会い。出会った側の私についても

※こちらの記事は、2021年の出会い by sentence Advent Calendar 2021で書いています。


2021年を振り返って、どんな出会いがあったか。

sentenceメンバーの方たちが書いた、それぞれの記事を読むと「一年という期間は、何かしら人に出会いを与えるものなんだなぁ」と思う。

きっと世界中の人にとっても、何も出会いがなかったと主張する人より、出会いがあったよ、という割合の方が多いはず。

365日という地球が太陽を一周する時間のなかで、人は出会いの対象を人だけでなく、物や映像などへも広げ、一年前の自分とのあいだに何らかの違いを発見していく。

365日周期を発見した古代の人から考えていたであろう(おおげさ?)「今年の出会い」とは、自分を振り返るテーマとしてピッタリな問いだろう。


出会いというのは面白いもので、出会いそのものだけではなく、出会いから波及された何かが、自分のなかに大なり小なり何かを残していく。

その残ったもので、また新らしい1日を一歩ずつ踏み始めるので、それがプラスであってもマイナスであっても、出会いというのは、何かしらの成長を人に与えるものだ。

だから、出会いとは、その人の個人的なものに何かを与えるので、出会いについての記事を読むと、書いた人のことをよく知れた気になる。

遠く離れていても、直接会ったことがなくても、同じ2021年を過ごしたのだなぁと感じられる。



そんでもって、私の2021年の出会いは何かというと、ずばりsentenceメンバーのライターさんたち(編集者さんや書くことを趣味としている人も含む)だった。

私は2021年5月にライターデビューし、コラム記事を書き始めた。

私の仕事はひとりで企画を作り、書き上げ、編集者さんに納品し、戻ってきた原稿を修正し、再度納品するというもの。

一人で書き続けるばかりで、“書く”に関して、ほとんど誰ともしゃべらない。

「正直な感想が知りたい」「このままで、上達するだろうか」

日が経つにつれ、だんだん不安になってきたので、sentenceメンバーであった方の紹介もあって入会した。


そこで、初めてライターさんたちと一緒に話し合う機会を持った。

私がライターデビューする前に入っていたスキルスクールでは、録画された授業を視聴する形式で、たまにあるオンライン座談会でもライターさんは講師、私は受講生という立場なので、一緒に何かを話し合うということがなかった。

それが、sentenceでは、“書く”ということでライター同士が話し合えるし、悩みやちょっとした話をおしゃべりすることもできる。

それまで周りにライターがいない私にとっては、こんなに身近にライターを感じたことがなかった。

ライターさんたちと直接話をしていると、ライターさんたちの考え方や価値観まで知ることができる。

もちろん、誰かがライターの考えることをテキストに書いて、私がそれを読むこともできる。

しかし、「目の前の原稿を、どううまく書き上げよう?」といった具体的なテーマで一緒に話し合うと、言葉の端々からライターとしての考え方や価値観を知ることができるのだ。

そういった機会は、テキストで知るのとは違う大きな納得感が私にはあった。

例えていうなら、新しい仕事に就いたときの仕事の覚え方だろうか。

マニュアルで仕事を覚える方法ではなく、先輩と一緒に過ごし、先輩の仕事ぶりや言葉から吸収していく方法に近い。

一緒に何かを話し合えること、話し合う相手がどんな言葉遣いでどのような考え方の人なのか見えること、が対話の大きな特徴だろう。

対話があると、同じ内容でも、“実感”として相手の言葉が自分のなかに入ってくる。

その内容が例え小さくても、ぽろっと出た何気ない言葉でも、私がそれを拾い考えれば、その言葉が出た空気や会話の内容と相まって、具体的に自分の考え方を少しずつ変えていくものになる。

つまり、ライターとしての自分へ向かい、一歩ずつ変わっていくのだ。

こんな変化が与えられたのも、sentenceで対話をした全ての人たちのおかげだ。


話は変わるが、フリーでライターをしていると、当然ながら先輩もいないし、同僚もいない。自分が評価される機会がほとんどない。

だから、積極的に自分を褒めるようにしている。

「3ヶ月前話し合った内容より、今回の勉強会はレベルアップした気がするぞ」と思ったら、すばやく心の中で自分を褒めている。そして夫にも伝え、夫からも褒めてもらう。

そこでインスタントコーヒーと牛乳を混ぜながら、ふと思い出したのが、10年前、私が趣味で小説を書いていた自分だ。

そのころもやはり今と同じように、小説を書く人たちのコミュニティに入っていた。しかし、そこでは小説を仕事にできているのは講師の先生だけで、他の人は私も含め、みなアマチュアだった。

そのコミュニティでもsentenceと同じように、それぞれ書いた作品を出し合い、みんなで話し合うのだが、私も単なるアマチュアなので、いち小説好きな人という立場でしか意見が出せなかった。

それでもそのころの私にとっては楽しく、妊娠して通えなくなるまで続けていた。

だが、あのころの自分と比べると、書くことで一応報酬をもらえる身となった今とは、大きな差があるなぁと感じられる。

もちろん今の私の仕事ぶりは、プロのライターの足元にもおけないようなレベルであり、量だけれども、報酬がないのとあるのとでは、大きな違いがあると思う。

「書くことが仕事として(小さくても)成立している私」になったから、sentenceで、具体的に話し合えるようになれた(もちろん他のライターさんたちが私のレベルに合わせてくれての話だが)。

「この記事が公開されたら、読者はどう受け取るだろう?」

「編集者さんが求めている記事の方向性とは?」といったテーマは、以前の私には語れない。書くことを仕事にして初めて、扱えるようになったのだ。


出会いというのは、どんな人に出会うかも大事だけれども、出会う側の問題もある。

「今年は、ここまで来れたんだなぁ」と、カフェオレを飲みながら、これまた自分を褒め、よい気分で年を越そうと思う。

2021年は大事な出会いがあったのだから、来年もまたよい出会いがある。

そして、毎年少しずつ階段を登っていく。

そんな前向きな気分でいっぱいだ。


ところで、未来の人たちは、どんな「今年の出会い」を果たしているのだろうか。

きっと現代では思いもつかないテクノロジーのなかで、何かに出会っているのだろう。

しかし、どんなテクノロジーであっても、出会いから波及される何かは、きっと現代と変わらない普遍的な感情なのだろう。

今の私のような、小さな成功体験や、自己実現による自己満足だったりするのだろう。



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