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Vol.12 本気を見た夜

第12回 2022年6月18日(土)放送

やりたいことに賭けたお話をしました。
2021年の初夏。オードリーの若林さんと、南海キャンディーズの山ちゃんのユニット「たりないふたり」というお笑いユニットのラストライブがありました。ラストライブは、2人が2009年に初めてユニットを組んでライブを開催した下北沢のライブ会場で予定されていました。現在の2人の人気からしては、箱が小さい。よってチケットの争奪戦は目に見えてました。むしろほとんど絶望的でした。でも時はコロナ禍。同時にオンライン配信も予定されていたんです。
その頃の私は、幸か不幸か無職だったので時間が有り余っていました。確率の少ない現地参戦に賭けるか、それとも無駄なく家でゆっくりと鑑賞するか。私はチケット確保もままならないまま、現地参戦することに決めました。

明日のたりないふたり

ラジオでは私がチャレンジしたお話をしましたが、ここではその結果得た感動を記したいと思います。当時書いていたブログから転記します。

このライブだけは絶対に生で見たい。だからチケットが当たろうとも外れようとも、東京に行くことは決めていた。結果的にオンライン配信のみとなった。私は日テレの真横のホテルで、このライブを見ていた。

漫才を語れるほどお笑いに詳しいわけではない。おふたり人のことに興味を持ったのも3年前くらい前のことになるからペーペーすぎて「ファンです」なんて堂々と言えない。だけど、出会ってから今日まで、私はこのふたりから「お笑い」というものを通して発せられる[何か]に、ものすごく影響を受けてきた。

おふたりとも決してスマートに生きてきたタイプの人間ではなくて、いわゆる「下手くそ」な類の人たちだと思う。(でもふたりは頭が超絶キレる、いわゆる地頭がいい)
このライブに集まるのもそういう人たちばかりだと思うのだけど、そこで旗を振ってリーダーシップをとってくれているのが山ちゃんであり若林さんだと思う。下手くそな人たちの生きづらさを言葉にして表現して、笑いにして昇華している。私はそこに自分を思い切り投影する。共感し共鳴する。笑いの奥にある、人間の気持ち、叫び、もがき、生き様、在り方・・・痛いくらいに曝け出しているその姿に、私はいつも感動する。痛々しい姿に、私は人間の本当を見る。そして安心する。下手くそな生き方に、愛おしさを感じる。「これでいいんだ、むしろこれだからいいのかもしれない」と感じられる。ふたりを通して、生きづらい下手くそな自分に許可が出る。傷だらけになりながらその姿を見せてくれるふたりには感謝しかないし、尊敬しかない。スマートに生きていくのがデフォルトのような世の中で、人間の本当を見せることって、なかなかできることじゃない。

こと、私はふたりと同年代だから、余計に自分と重ねて見てしまうところがある。「まだやってやる」という気持ちと、後輩に道を託す思い。変わらないといけないのではないかという焦りと、変われない自分への絶望。自分が持っている武器、自分の能力、自分の好きなこと。この年代ならではの切ない悩みや思いがリアルに響いた。そこから導き出した答えにも感動したし、それを正直に表現する姿に圧倒された。若林さんが山ちゃんに絶叫する場面は圧倒的だった。本当の姿すぎて生々しくて、ちょっと目を背けたくなった。自分の刃で自分を突き刺す姿には、日々反省を繰り返している自分への厳しさと、他人への誠実さを感じた。自分に厳しい人は他人にも厳しいというけれど、私はそこに違和感を感じる。自分に厳しく自分を責めてしまうような人は、他人を責めない。人を責めたくないからこそ、自分を責める。それほどに心が優しいということ。自らを刃で突き刺す若林さんから感じたのは、山ちゃんに対する大きな愛だった。

今はまだアーカイブで見れる期間だけど、あまり見たくない。あの衝撃を緩和したくないと思っている私がいる。とんでもなく素晴らしいライブが見れた。あんなにリアルなライブがあるだろうか?人間の本当がたくさん詰まっていた。

自分の人生の中に「たりないふたり」で過ごした時間があることが嬉しい。出会えたことが嬉しい。生きづらいと日々もがいている中で「こんな自分でもいいんだ」と思えることは、生きていく力になるから。

生き様を見せてくれて、ありがとう。この夜景を見ながらおいおい泣き続けた衝撃を、私は一生忘れない。

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