見出し画像

from this moment on

「わたしのこと」というブログに記したことと重複するが、私はかつてこんなことを思っていた。

結婚にも大して興味が無いし、結婚式を具体的に夢みたタイプでもない。自分から始まる家庭も子供も、要るのか要らないのかはっきりしない。自分のやりたいことさえ出来ていて、近くに誰かがいて”寂しい”という感情が紛れたままなんとか生き続け、「孤独だった」と思わず死ねたらそれでいい。

大学に進学して、そんなことを思っている自分に気づいてから、それまで一緒に時間を過ごした小中高の友人たち(一貫校なので12年間共に過ごした)とはかなり違う価値観を持って生きていたんだと思うようになった。そこに誤解があったのかなかったのかは私の主観でしかないのでわからない。でも、その頃から少し疎遠になったような気がする彼女たち(5歳から、もう30年も知っていることになる)と、ここ最近再び会ったり話したりするようになった。

というより、心優しい彼女たちは私の体調を気遣い、連絡をくれたり、本を送ってくれたり、会いに来たりしてくれる。自分がどれだけ軽薄で斜めから世界を見ているのか、彼女たちと触れ合うと感じる。

先日 Brad Mehldau トリオを聴きに国際フォーラムに行った。

本編の最後で演奏された「From This Moment On」が体に染み込むように響き、1500人のーディエンスがいるのに、時が止まった。
ふとその時に、先週自宅まで会いにきてくれた小学校からの友人(1児の母)の言葉を重ねて思い出した。

私「子供、もともと好きでも嫌いでもないんだけど、自分が生んだ子供ってもんは無条件にすごい愛せるものなの?やっぱり全然感覚違うの?自分の子って。
友人「正直最初はよくわからない。時間を過ごして信頼関係が生まれてくると深い愛情に変わっていく感じ

地に足のついた彼女のコメントは、とても安心感をくれた。

From this moment on」(曲の歌詞の内容とは関係ないけど)
血縁関係のあるなしにかかわらず、世界中の誰とだって交わる可能性のある「他人」と「自分」との「信頼関係」というのが、生まれたその瞬間から「生まれるその日」から始まるのが親子。
だからこそ1日で終わってしまう親子も存在するし、何年経っても、なんらかの理由で「信頼関係」が崩壊する親子も存在するわけだ。

私とその子は10ヶ月以上同じ体を共有しているわけだから、まったくの「他人」ではなく、一度は体の一部として共有しあった特別な関係なのだけれど、血縁関係があれば理解しあえるのではなく、きっと子供というのは、「他人」と同じように時間をかけてわかり合っていくべき存在なのだ、と、とても大切な気づきであると思っている。


そんな感じで、いろんなことに考えを巡らせる時間が増えた。
いつ陣痛や破水がきてもおかしく無い時期に入った妊婦は何して過ごすのかと思い、先輩方に聞くと多くが「グルメツアー」している。同じく私も、先月の前半はピザと焼き鳥に少し詳しくなった。後半は、ラーメンとカレーを攻めた。

佐野ラーメン(森田屋)

うちの近くで家系ラーメン


学芸大学のVOVOのカレー


写真は撮らずともそれ以外にそれぞれ2−3軒食べ歩いた。めっちゃ感動して美味しかったのは目黒のLANDのカレーだった。行列必至とのコメント通り行列だったけどほんと一度食べれてよかったわー。おすすめ。

目黒のLAND

そして今は坦々麺期間に突入した。食レポライターさながらな感じで、5日連続で坦々麺を食べ続け、坦々麺1位を探している。そんなレポは、また近日中に。

今までもこれからも皆さまからのサポートは有難く頂きます。てゆうか双子グッズ買います。笑