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明るい未来をまだ夢見ている

#あの選択をしたから

2002年、年末。
中途就活の結果、不景気ながらも3社から内定をいただけた。
記憶が曖昧だが、A社はたしか社団法人かなにかだったかな、取引先の社長や偉い方にゴルフ会の出欠をとったりするのが仕事だと聞いた。

あとの2社は商社であった。
B社はトイレやお風呂などの住宅設備を扱う営業事務。

C社は扱うものは違うけどやはり問屋、カッコよく言えば商社の営業事務。
要はお客様から注文をいただき、
倉庫にある在庫を出したり、
メーカーに発注したり、
見積作ったり。

何が決め手になったのかは忘れたが、年末ギリギリまで悩み、答えを出し、
年明けから働き始めた会社はC問屋
出社初日で、「無理。帰りたい。」と思うようなブラック企業だった。
まず、これはブラックとは無関係だが、退職予定で引き継ぎをしばらくすると言っていた女性社員が、出社途中で自転車で転び怪我をして、会社に来れなくなった。
今のようにリモートワークなんかないから、本当にわからないことは電話で聞く。
面倒。その事故った人も私もなんて不運。

営業マン二人のアシスタントとして事務仕事をするのだが、
アシスタントというより、奴隷。
上司である営業マンは顧客からの電話にはほぼ居留守。出るのは私。
都合のいい要件だけ上司に繋ぐ。厄介なことは私の役目。
退社時に上司が出かけて不在の際は、
電話をかけて帰ってもいいかお伺いを立てなければいけない。
ちなみに定時で帰れる日はほぼなし。
慣れない仕事とはいえ、ミスは絶対に許されない。
数字を一つ、文字を一つ間違えようものなら、なんで間違えたのか、見直さなかったのか、どうして間違えたままで提出したのか大声で問い詰められる。
確かに間違いは良くない。
業界に慣れていないためのミスも当時はあったと思う。
日々何かしらの失敗を繰り返し、
でも正確に正確に、瞬きもせず、呼吸も止めて確認して正確にこなしていくと
徐々にミスは無くなっていった。

成績にもうるさい営業マンは自分の得することしかせず、
今考えるとかなりブラック寄りのグレーな取引をしていたように思う。
見積りを作る、注文を捌く、客先からの問い合わせに応じる。
私にできることは全部やる。
営業マンは自分でやりたくないことは私にやらせるので、二人で一人の私を取り合う。
これだけ書くと、それが営業の仕事だし、営業事務の勤めだと思うでしょうと思う人もいることでしょう。
私も初めはそう思っていた。

FAXで送られてくる文字、数字が6だか8だか判読できなくなる。
5と6も紛らわしい。
もっと精度の良いFAXの機械がほしい。
請求書に間違いなんかあったら、殺されかねないので神経を使う。
何度も見直し、封筒に入れる書類も何度も見直す。
確かに私は仕事ができるようになった。

異質な営業マンのことは社内は当然、
取引先もみんな知っているので、
みんな私の存在を気遣ってくれるようになった。
味方になってくれてり、色々助けてもらえた。
今でも感謝している。

それが何年目のことだったか覚えていないが、
おそらく2〜3年経った頃、
あまりにも忙しく、数字に集中し、何事も彼らの思うままに働いていたら、
次第に体調を崩すようになる。
書類を何度チェックしても納得いかなくなる。
何度も何度も手を洗うように、
書類を何度も何度も見返す。
強迫性障害の症状が出始める。

頭痛。
ふらつき。
顔面蒼白。
舌痛。
背中の痛み。
下痢。
不眠。

酷いのは不眠と強迫性障害の症状。
自宅のガスや玄関の鍵のチェックなどを何度も繰り返すようになる。
会社では書類や計算などを何度も何度も繰り返す。
呼吸が浅い。
夜は寝坊してはいけないというプレッシャーで寝付けない。

ちなみに一人の方の営業マンもその気があり、
彼の書類にも蛍光ペンでチェックした跡が何色も彩られている。
1回でハンドソープが全部無くなりそうなほど手洗いをしているのを目撃したことがある。
声がデカくヒステリーも酷く、部下や取引先の担当者を耳の病気にさせたり、心の病気にしたのは1人や2人じゃ済まない。

ああ、このままだと私もああなるのか。。。
心療内科に行っても効く薬にめぐり合わないまま
睡眠薬だけは、まあなんとか合い、薬で眠る毎日。

ある日、とんでもない殴り書きの注文FAXが届き、軽く目眩が。。
しかも紙のはじっこに書いてある文字が読み込めず切れている。
あんまり紙の端っこに書くと文字が写らないよ。
そんなこともわからないのか、この客は。
こちらが申し訳なさそうに、何が書いてあるのか電話をして聞く。
これで何か間違いがあったら怒られるのは私。

この辺りでたしか入社して3年過ぎたくらい。
そろそろ心と体がもたないなと退職を決意する。
上司が退職届を受け取ってくれず、
なんだかんだ言いくるめられて、
1年くらい経った気がする。

このままだと、数字も文字も良く読めなくなり体調も悪いし、何かミスにつながると思うから辞めさせてほしいと懇願

それでやっと退職が決まった。

次に入った会社は、前職と同じ業界で、
人も業務内容も雰囲気も悪くなく
それなりに穏やかに働いていたけれども、
入社して5年1ヶ月経った時に廃業になってしまった。
退職金割り増しで、解散。
この時、取締役が若手の転職先をいろいろ探してくれていたので
私もそれに甘えて3社目の同業者に勤めることになる。
この時、心療内科を卒業しておけばよかったのに、眠剤だけはどうしても必要だったから、通院を続けてしまった。
これの責任は自分にある。

2013年1月
治安の悪い駅から徒歩15分の会社に勤めることになる。
建物もかなり古く、土日あけて月曜日の朝は、しばらく水道を出しっぱなしにしないと、赤茶色の水が出る。
虫も入り放題。

それより、配属された部屋に入って、なんとなく違和感を感じたのを今でも覚えている。
誰も雑談をしない。
もくもくと仕事をしている。
なんか小声。
腫れ物にさわるように扱われる人物。
その人物は盛大に電話ガチャ切り女。
他の社員の机に書類を置くときも、そっと置かず、投げるようにバッサー!
机の引き出しも必要以上にバタバタ開け閉めする。
これだけで、私の頭の回路が、再びだいぶおかしくなってしまった
また強迫性障害の病状が出たらやだな。
もう少し穏やかに仕事してくれないかな。
なんて、思ってるだけじゃ全くかわらない。

私に現れた症状は
蛍光灯の灯りが眩しすぎる
コピー用紙の白が眩しすぎる
耳が冴え過ぎて、些細な音も拾うから、引き出しバタバタは頭に響く
パソコンの画面も暗いモードに切り替え
なんとか自己防衛する
視神経刺激、頭痛、動悸がひどかった

これで心療内科では、眠剤だけでなく、他の薬も処方されるようになる。

それからしばらくすると、
会社に行かれなくなるという症状が、、、
これは困った。
朝、会社がある某駅までは行けるけど
駅構内から出られない。
朝布団から出られない。
なまけてるようだが、ふざけてるわけではない。
ほんとに出かける時間になると、身体が拒否する。3日連続で休んだ時は、もうダメだと思って合間に病院に行って事情をはなす。
薬が増える。増えようが、変わろうが、会社に行かれないのは困るので薬は飲む。

入院もすすめられたが
とりあえずお断りした

人の体と頭は一度壊れると
なかなか元の良好な状態に戻すのが
大変だと言うことはきいていたが、
自分がそんな目に合うとは思わなかった。
上司にも状態と理由を話し
今後も急に休むことがいるかもしれないけど
なるべくやり残しは無いように毎日退勤するし
何かあれば電話くれればいいし

このころ働き方改革について
いろいろなビジネス書が出ていて
いろいろ読んでみた

そろそろ雇われの身ではなく
自分のペースで無理なく働く方法もあるみたいだなあ
自分にできるかわからないけど、
今のこの頭のごちゃごちゃを拭い去るなら
思い切って会社を辞めて
少し休養して
新しいことに挑戦
してみようと思い始めた

#あの選択をしたから

それが、だいぶ先の目標だけど
書店経営

5年後か10年後かわからないけど
自分のお店を持ちたいと思う

精神的な病気になり
何度も転職し
要所要所で正しい判断が
できたのかは、正直わからない

でも新しい人生に向かって歩いていこうと
思う。

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