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自分のことが好きだ YES ・ NO

「自己肯定感」という言葉がある。
文字の通り、自分を肯定する感(気持ちとか?)ということなんだけど、
これが低い人が多い、というのが最近の日本の社会らしい。

ところで私は自己肯定感が高い。それも異常に高い。
それはたぶん両親や親戚に大切に扱われてきたし、祖父母には「かしこい」、母には「かわいい」と無条件に肯定されて生きてくることができたからだと思う。たぶん。
子どもは生まれてくる家を選べない。
だから、肯定してくれる人が身近にいてくれて、私は運がよかったんだと思う。
(ちなみに父は言葉にして私をほめることはあんまりなかった気がするけど、とにかく子供を大事に思っていることはよくわかった)
自己肯定感をはぐくむ方法はまぁいろんな育児書があるしそれっぽいことをたくさんの評論家が教えてくれているので割愛したいが、確かに今私の周りにいる人で自己肯定感の低い人は多い。

■不当に「自分sage」をするのが美しい
西野カナの「トリセツ」という曲で「こんな私だけど笑って許してね」という歌詞があるけど、
この「こんな私」という言葉、本当によく聞く。
「私なんか」とかでもいい。

そういう風にして自分を落としている人が多い。誰かよりも下に自分を置くことで安心するのだろうか。

■自分が誰かよりデキることを探す=自己肯定感アップってマジ?
少し前にどなたかのツイートで

「自己肯定感を上げるには、どんな小さなことでもいいから自分が優れている、得意だと思えることをどんどん見つけるのが有効だ」

と書かれているのを見かけた。
いいねもたくさんついていた。

だけど私は「?」と違和感を覚えた記憶がある。

私は自分のことがまぁ好きだし、卑屈なほうではないと思う。
だけど、自分が誰かより優れているとか、そういうことをあまり考えた経験がない。

■自分のこと、好きか・嫌いか
例えば心理テストの質問でたまに「自分のことが好きだ YES・  NO」みたいなのがあるけど、
あれに迷わずYESと答えること。
それが自己肯定感というものなのではないかなと思った。

「私は〇〇さんよりかわいいから」とか「僕は××よりフォロワーが多いから」とか、誰かよりお金を持ってるとか、誰かより努力家だとか、誰かより家族を大事にするとか、
そういった「ここが誰かより優れている」というよりどころって、すごくもろいものではないのかなと思うのだ。
きっとそれは「それを除けばたいしたことない人間」であることを認めてしまうだろうし、
そのよりどころだった何かで誰かに負けたときに、崩れ去ってしまう。
しかも1番でい続けることってすごく難しい。

■根拠はないけど好きなんだよね、でいいはず
それよりも「なんかよくわかんないけど、自分のこと好きだわ」って思えることって、最強なんじゃないかと思う。
それは誰の承認も必要としないし、誰かと何かを比べてもいない。

現に考えてみたら、私は「自分が一番だ」と思えるようなことはそんなにない。
自分より仕事のできる人はたくさんいるし、頭のいい人もそりゃいるし、タレントさんを見れば自分が世界で一番かわいいわけでもないのは明らかだし、もちろん億万長者でもない。
真面目ではあるけど努力はしなくていいならしたくないし、朝に弱いし、自制心もあまりない。

でもいいんだ、好きだから。

そう言えることってすごく貴重で、でも本当は誰にでもできることなんじゃないかなと思う。
自分以外の誰の許可もいらないことだから。

そういえばBUMP OF CHICKENの「才悩人応援歌」という曲で

得意なことがあったこと 今じゃもう忘れてるのは
それを自分より得意な誰かがいたから
ずっと前からわかってた 自分のための世界じゃない
問題ないでしょう 一人くらい寝てたって
唇から零れ落ちたラララ その喉からあふれ出したラララ
とても愛しい距離 その耳だけ目指す歌 ラララ
僕が歌う僕のためのラララ 君が歌う君のためのラララ
いつか大きな声 ただ一人のための歌 ラララ

という言葉があって、これはきっと自己肯定感を回復するための歌なんだなぁと感じた(耳で聴いただけなので漢字とかたぶん違うんだけど、いい曲なので聴いてみてほしい!)。


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