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ジョルジュ・ド・ラ・トゥール

「ジョルジュ・ド・ラ・トゥール展 ― 光と闇の世界」(主催:国立西洋美術館、読売新聞社2005年)

休日の上野は、たくさんの家族連れに屋台や出店がでて、お祭りのような騒ぎでした。
交差点をわたって、右手にある国立西洋美術館は、特に行列もなくすんなり入れました。

ラ・トゥールの絵は、「大工の聖ヨセフ」といった蝋燭やたいまつの明かりに照らされた世界と
「いかさま師」のような人物描写の二種類あるようです。
新作と模作が同時に並べられ、不思議な印象を受けます。
彼の描くキリストや聖ヨセフ、マグダラのマリアは、聖人というより、
田舎の子供や、気難しいが愛情深い職人、生きることをしばし倦む女のよう。
たった一つの光源が、漆黒の闇に覆われた細部を照らし出し、思わず引き寄せられます。
そうかとおもえば、賭博に興じる男たちや、けんかを始めた音楽師たち、いかさま師や占い師にかもにされた放蕩息子。
画面の中の登場人物たちは、視線を交わし、叫び、なじり、嘆き、笑い声やささやきさえ聞こえてきそうです。
貧しさのリアリティとわずかな富がもたらす悲喜劇。
17世紀という宗教や階級に支配された社会の光と闇を描いているようにも見えます。

ジョルジュ・ド・ラ・トゥールはフランス、ロレーヌ地方の小さな村のパン屋の息子として生を受けています。
パン屋の息子がなぜ画家となり、そして、王の画家と呼ばれ、そして300年もの間忘れられたのか?

国立西洋美術館で、常設展も見て回りました。
エル・グレコの「十字架のキリスト」は長崎の美術館に貸し出し中でした。
印象派をいくつか見て、ピカソや現代アートのところまで来て、
私たちはすべてが明るみに出た時代にいるのだと、ふと思いました。
闇を恐れることのない、階級や社会に隠蔽されることのない、蛍光灯のしたの奇妙にクリアでしらけた世界。
それはさらけ出されたものではなく、見せたい部分だけが明るく照らされた情景。
賑やかそうな空虚、真実から離れた奇跡の一瞬、光が強ければ強いほど闇は深くなる。

マグダラのマリアが眺める常夜灯の炎
照らされた顔と膝の骸骨
静寂の中に漂う長い長い物語

神は細部に宿る、そんな言葉を思い出しました。

http://www.ezoushi.com/la_tour/1.html
http://www.tv-tokyo.co.jp/kyojin/picture/010505.htm

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