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エピソード#1  人生最期の熱海旅行。Hさんからのメッセージ『最後の使命は、ちゃんと生ききること』

Hさんとの出会いは201X年。
私たち夫婦が熱海に移住・起業して始めた介護タクシーを観光でご利用されるお客様でした。開業したばかりの私たちにとってHさんは観光で御利用されるお客様としては初めてのお客様でした。
 
最初は Hさんの幼なじみであるAさんからの問い合わせでした。
「がんで余命宣告をされた幼なじみが 人生最期の旅行で行ってみたかった熱海に行きたい、花火を見たいと言っている。願いを叶えてあげたい。」という内容でした。
 
Hさんは当時40代前半、独身。私より少し年上で私と同じように看護師の仕事をしていました。前年の秋頃に余命半年という宣告を受けた後、いろんな気持ちを乗り越えながら、人生について改めて考えたといいます。
「余命半年。自分が生きているのは来年の春までか、、、」と夏服は全て処分したそうです。
そして、余命半年と言われて迎えた翌年の春。Hさんは「私、まだ生きてる。」と思い、そこから、『会いたい人には会っておこう』と幼なじみのAさんに連絡をされました。
 
初めは 幼なじみのAさんと弊社でメールで連絡をしていました。
ですが、「Hさんが望む人生最期の旅行はHさんが主役。Hさんに行きたい場所、どんな旅にしたいかを聴かないといけないんじゃないか?」と、Hさん、Aさんとみんなでメールでミーティングを重ねていきました。
 
Hさんのメールには「私は2年前にがんを発症して、今に至ります。今は歩行も200m位は可能ですが、息苦しさで一休み、そしてまた歩けるという感じです。車椅子は持っていきます。熱い想いのお二人のサポートは有り難いです。そういえば、年末 調子悪くなってから遠出するのは初めてで外に出れるのが嬉しいです。」と書いてありました。そして、熱海で行きたい場所、体験したい事などを教えてくださいました。元々グルメなHさんは、レストランやお寿司屋さんに自分で予約をいれたりと旅行を楽しみにされていました。
 
その反面、体調がいつどうなるかわからないと不安なことも話していましたが、旅行中に
体調不良があった時に備えて主治医から診療情報提供書も受け取り、少し安心したようでした。
私たちは 快適な楽しい旅になるように、Hさんが予約したお店や行きたい場所に下見に行き、車椅子で通れるかなどを調べました。また、Hさんにも承諾を得て、宿泊するホテルの社長には病状を話し、旅行中 体調不良となった場合は 救急搬送となるかもしれない事をお伝えしました。
ホテルの社長は「自分の母も闘病している。だから、闘病している方が人生最期の旅行に
熱海を選んでくれて、このホテルを選んでくれたのは有り難い」と言ってくださり、館内を車椅子のままでも移動しやすいルートを教えてくださいました。
 
迎えた当日。幼なじみのAさんに車椅子を押してもらいながら、Hさんは駅の改札に来られました。Hさんはショートカットが似合い、綺麗な青いシャツに真っ白なズボン、白い靴という
ファッションで、「実は昨日まで本当に熱海に来れるんだろうかと心配でした。でも今はワクワクする」と言われ、余命宣告を受けたようには見えない笑顔が素敵な女性でした。
 
まずは、観光で、日本三大古泉、走り湯へ行きました。階段があり、車椅子に乗った状態で介助をしようと思いましたが、Hさんは「今日は歩けそうな気がする」と言い、Aさんの肩を借りて階段を昇り、走り湯の中まで歩き、蒸気を浴び、「呼吸が楽になってきたー」とスッキリとした笑顔。その後、Hさんが予約した海の見えるフレンチレストランでもランチをされ、「最近は 食欲も無くて、食べたら吐いちゃってたから、ランチもできるか不安でした。でも、全部食べれて満足~」とお料理の写真を見せてくださいました。
 
その後も樹齢2000年の大楠のある来宮神社でご祈祷され、車椅子で大楠の周りをゆっくりと散策したり、カフェでお茶したりと幼なじみAさんとの旅を楽しんでいました。
 
一度、ホテルで休まれた後、花火大会の会場へ移動。目の前に打ち上げられる花火に目を
キラキラさせて感動されていました。
 
翌日は今回の旅でグルメなHさんが一番楽しみにしていたお寿司屋さんへ行き、車椅子から降りて、カウンターの席を希望され、大好きなお寿司を楽しみ、「美味しかったー」と大満足な表情をされ、笑顔で自分の住む街へ帰られました。
 
帰宅したHさんからは 「密かに、いつ発作がでるかなとドキドキしながらの旅行でしたがサポートのお陰で安心して旅行ができました。なんて言ったらいいのか、言葉になりません。本当にありがとうございました」と嬉しいメールをいただきました。
 
Hさんはその後、在宅で穏やかに過ごされ、4か月後に虹の橋を渡られました。Hさんは、余命半年と言われてましたが、その倍の1年を生きました。
 
 
いろいろお話をしている中で Hさんは海が好きで、看護を学んでいた短大生の時はヨット部だったことを話してくれました。そして、その短大は、私の母校である衛生看護科のある高校と同じ敷地内にある短大だったのです。もしかしたら、Hさんとは同じ敷地内にある食堂やグラウンドで会っていたかもしれない、海が好き、看護師、などいろいろ共通点があり、不思議なご縁で繋がっているなーと思いました。
 
生前、メールでHさんは「私の写真は どんどん使ってね。介護タクシーのことをたくさんの方に知ってもらって、外出や旅行を諦めている人に少しでも外に出るきっかけになったら嬉しい。余命半年と言われた自分が半年を過ぎても生きている意味、『最後の使命は、ちゃんと生ききること』なんだと思う」と言ってくださいました。
 
介護タクシーの仕事を通して、その方の生きる力を度々感じる場面に出会います。
Hさんは私たちの初めての観光のお客様でありますが、それ以上に、同志であり、友であり、仲間でありという存在です。
 

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