相手にされない現実をつくっていたのは自分自身だと気づいた話

かつてネットで交流するのは大の得意で,毎日色んな友達ができて交流できて楽しかったけれど,今となってはTwitterでもあまりやりとりしないし,反応もあまり来ない,結局誰しも見ず知らずの他人のことなんて興味ないよなーと,一種の失望感を知らず知らずのうちに持っていたのだけど,その現実は自分が作り出していたと気づいたので,今日はそんな話.

自分は何者でもないという寂しさが招く現実

Twitterとかでバズったりするが,そういうのは特別才能に恵まれた人たち,とりわけ神絵師だったり,美男美女だったり,歌やダンスが上手い人たちばかりだ.多分この認識自体も認知バイアスが入っていて,実際はちょっとしたネタをつぶやく人や,日常で見かけた面白い物の写真だとか,色々あるはずなのだけれど.

結局何者でもない僕は相手にされないと,いつの日からか思い込んでしまっていたことに気づいた.そう思い込んで日々思考を巡らせたせいか,誰かに気にされるには,それによって誰かが利益を享受できるような存在にならないといけないということに気づいたりして,悪いことことばっかりではなかった.例えば,そこから得ることができた「自分が得するには他の誰かが一緒に得するようなシステムを作ることが重要だ」という知見は真だと思う.しかし,それは自分のレーゾンデートルを真っ向から否定しているに等しい.システムとしての自分にしか価値がないとなってしまうと,いつまでも心にぽっかり穴が空いたようで満たされない.結局僕たちは葛藤の淵に立たされているんだと思う.

自分は何者でもないと思いこんでしまっているせいか,構築したシステムや,そのシステムの中での一機能として存在理由を表現していこうとしてしまう.しかし,それでは埋まらないし,どちらかというと自分の思い込みを加速していくだけに過ぎない.その過程で触れる自分を必要とする声は,システムとしての自分を評価する声に過ぎないのだ.そうやって自分の思い込みを強化してしまうネガティブループに陥ってしまう.もちろんシステムに徹することに喜びを覚える人も世の中にはいて,その人たちには全然問題ないのだが,そうでない人たちにはこの行為は自分の心を蝕んでいく.僕もおそらくその中のひとりだと思う.

自分の意見は相手にされないと思い込んだ上で,相手にされようとシステムとして振舞った自分自身の行動で,予想通り相手にされるようになると,最初の自分の仮説まで誤って肯定してしまうのだ.「システムとして評価されたから,システムとして振る舞う自分である必要がある」となってしまうわけだ.しかし,実際はそれは検証されてないから必ずしも真とは限らないのに.

本当に相手にされないのか,行動してみよう

システムでない,ありのままの自分では誰にも相手にしてもらえない,という思い込みがこの事実を作り出している.このループから脱するには,まずこの前提が誤っているのではないかと疑うところからだと思う.しかし,これを検証するのはすごくストレスがかかる.こういう思考に陥るということは,心は「システムでない自分でも誰かに必要とされたい」と叫んでいるからだ.しかし,それを検証して「必要とされない」という否定しようのない事実に遭遇してしまうくらいなら曖昧のままにしておきたい.その心的ハードルが自分の行動を妨げてしまう.

ちなみに僕はどうしたかというと,周りに同じアーティストが好きな友達がいないので,Twitterで少しずつ輪を広げていくことにした.もともとは好きなアーティストのチケットが手元に余ってしまったので,一緒に行ってくれる人を探したことがきっかけだったのだが,そこで初めて交流して,一緒にライブに行った出来事が案外楽しかった.昔,ネットで軽率に色んな人と友達になったり会って親友ができたことを思い出すことができた.それで試しに,これであの時みたいに色んな人と交流することはできないかなと思ったのだ.

正直相手にされないと思っていたが,そんなことはなかった.やっぱり,同じ趣味を持つ人と交流するのはきっと誰しも楽しいことだし,社会は人と人との交流で成り立っているのは揺るぎない事実なのだなと実感した.やってみたらすごく簡単なことだし,怖れていた現実に遭遇することはなかった.もっとも,あまり交流に乗り気ではない人はもちろんいるが,色んな人と交流していると,コミュニティの繋がりが強化されて信頼が生まれてくるし,最初は人見知りする人も,やがて交流を続けていくと打ち解けていける.そもそも,自分に後ろめたい気持ちがなく,純粋に仲良くなりたくて交流しているのだから堂々とすればいいということにも気づいた.(ちなみに,僕は年下の女の子と交流することに若干後ろめたさがあるのだが,多分高専卒生の人たちはわかってくれるんじゃないかと思うw).

結局,友達ってどうやってつくるんだっけ?という話だった

ここまでの話は僕の中の葛藤だったのだけれど,わかってしまえばすごく単純でわかりやすい話だったことに気づく.結局,これは友達の作り方だ!僕たちは色んな友達をつくってきたが,友達は別にシステムとして評価して友達を作ったわけじゃない.「あいつデザインが詳しいから友達になっとこ」って思って選んで友達になったわけじゃない(中にはそういうひともいるのかもしれないけれど).何か同じものが好きだった,帰り道が同じだった,同じ学科だった,たまたま講義で隣になった.それくらいの些細なきっかけで繋がって話すようになって,気がついたらなんでも話せるような親友になっていたはずだ.最終的にはどんな人間関係だってここに落ち着いてくるんじゃないかと思う.コミュニティづくり,チームづくりも本質的には変わらないはずだと僕は信じている.ひょっとしたら今までの時代はビジネスパートナーと友達を同一視していたら嗤われていたかもしれないが,おそらくその時代はもう終わって,これからは友人のような信頼関係が世界を作っていくと僕は信じているし,そんな美しい世界を僕は見たいので,少なくとも僕はこれを信条に生きていこうと思っている.

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