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父の誕生日に、父の話をテキストで

今日は亡き父の誕生日。
節分の日、鬼はー外、福はー内の日に生まれたんですね。

父が亡くなって2年ちょっとです。
ガンで亡くなりました。亡くなった時からずーっと心に大きな空洞がある気分。それを子どもたちとの忙しい日々で埋めたりごまかしたりと。

3年前のある日、母から電話がありました。
『なんでもないんやけど、お父さんガンながいちゃ』と。
そのときの声色は今でも鮮明に覚えてて、言いたくないことを言ってる声色で、でも気丈で。思わず『なんでもなくないやん!』と少し母に対して強い口調で言ったのも覚えてます。

電話を切ったあと、すぐにわたしは『遺影を撮りに行こう』と。今ならまだ治療始まってないからいつもの父が撮れるはずと、その週末に子供二人を連れて実家に行きました。

そんな私たちを実家で迎えた父は『そんなすぐ死ぬわけじゃないんだから!旦那さんには言ってきた?大丈夫なん?』と。そんな金曜の夜。

土曜日、父はいつも通りゴルフに行き、帰ってきたのは夕方。いつも通りだけどいつも通りじゃなかったのはお酒を飲まずに帰ってきたこと。わたしは明日自宅に戻るから何としてもその日に撮りたくてソワソワ。でもなかなか言い出せない。普段子供たちと両親の何気ない写真を撮ることはあっても、カメラ目線の写真を撮ったことはなく、撮るには理由がいる。でもまさか『遺影を撮りに来た』なんて言えない。そんな様子を見て事情を知ってた母が切り出してくれた。『お父さん、孫と写真撮ってもらわん?えつ子(私)、写真上手やから』と。

いつもはめんどくさそうにする父。だけど、その時はすんなり応じてくれて、外で撮りたいという私のリクエストにもすんなり応えてくれた。きっとわかってたんだと思う。そして、まっすぐ私を向き、いつも通りの穏やかだけど芯が強い目で私を見て写真を撮らせてくれた。孫と撮るという口実だったのに、ほぼほぼ父だけで。うん、やっぱりわかってたんだと思う。私が遺影を撮りに来たことを。

私が遺影を撮りに帰ってきたと言ったとき、母は少し泣きました。どうして死に肯定的なの?と。でも私はただただかっこいい父をおさめたかったのです。ゴルフ旅行の時の集合写真ならたくさんある。でももっとかっこいいのを撮りたかった。

実家に帰るたびに御仏壇に挨拶をすると、遺影の中で笑ってる父がいます。その父の笑顔はその時、カメラには向けてたけど間違いなくカメラ越しに私に向いてた。私への眼差しを遺影の中に閉じ込めれてよかった。その眼差しは孫もいたからいつもより優しい気もするし、いつも通りな気もするし。

写真は残るんです。その時の空気も思い出も眼差しも。本当に残せてよかった。この時の一枚が私が今まで撮って一番よかった一枚になりました。


※この話はcurbonの無料コンテンツでもお話ししてます。少し前のコンテンツです。ちょっとしんみりと話してしまったのですが、よければどうぞ。

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