見出し画像

■ルチータのエプロン回にモヤっとしたので個人的な感想。

 お疲れ様です、あいなです。

 先日、教育番組『おかあさんといっしょ』内の人形劇『ファンターネ!』のエプロン回が再放送されました。
 私はこの話を視聴して、初回放送時に感じたモヤモヤをもう一度感じたので、そのモヤモヤを解消するためにnote記事にまとめようと思いました。

 ウジウジしてますが、お付き合いいただければと思います。
 どうぞよろしくお願いいたします。

○そもそもファンターネ!とは?

 まず、『ファンターネ!』とは、NHK・Eテレの幼児向け番組『おかあさんといっしょ』の中で放送されている人形劇シリーズのタイトル名です。

 公式HPによると、「可能性と多様性」をテーマとして、現実世界における多様性を反映したキャラクター設定になっているとのことです。

 また、キャラクターの配色は淡いパステルカラーを基調としていて、個人的にはとても目に優しいなと感じています。

 また、ウィキペディアによると、

(前略)新型コロナウイルス感染拡大防止のため、(略)着ぐるみとの交流は引き続き禁止になっている。そのため、みもも達は初登場から子供達との交流を全く経験していない。これは、第5作『うごけぼくのえ』以来、48年ぶりになった。

リンク先記事より引用

とのことで、なかなかレアな事情を抱えているのですね…。

○登場人物は?

ファンターネ!のメインキャラは4名です。

  • みもも(カッパの女児/天真爛漫)

  • やころ(ひょうたんの子/知的真面目キャラ)

  • ルチータ(ライオンの少年/陽気なアーティスト)

  • あーぷん(謎のタネ/赤ちゃん)

そして、今回の話には追加でサブキャラクターが1名。

  • アンモさん(小柄なアンモナイトの長老)

合計5名の人物が登場します。

○初回放送は2023年2月13日。

 エプロン回(正式なタイトルが不明なので、今後もエプロン回と呼称します)の初回放送は、2023年2月13日。
 私が2回目に見たのは、2023年3月23日です。

 『ファンターネ!』などの人形劇パートには独自の再放送サイクルがあるようで、1回目放送のだいたい1ヶ月後ぐらいに2回目の放送があるようです。(『おかあさんといっしょ』の構成や歌は同様ではありません)

○エプロン回はどんな話?

 下記は、エプロン回のあらすじになります。

 ルチータが胸に船のワッペンが付いている藍色のエプロンを付けて、熱心に工作している。
 そこに他のメンバーが登場し、口々に船のワッペンのエプロンを褒める。
 ルチータも、この船のエプロンが気に入っていることをアピールする。
 そして明日、みんなで各自お気に入りのエプロンを付けてクッキーを作ろうと約束をする。

 次の日。
 誰もいない部屋に、ルチータは手に花柄エプロンを持って、不安そうに登場する。
 船のエプロンは、家族に洗濯されてしまい、代わりに花柄のエプロンを持たされたのだ。
 そこに、みもも・やころ・あーぷんが、エプロンを付けて和気藹々とやってくる。
 すると、ルチータは持ってきた花柄のエプロンを隠して、エプロンを忘れたと嘘をつく。
 だが、目ざといあーぷんが、隠されていた花柄のエプロンを見つける。
 仕方なく、花柄のエプロンは自分のものだと説明するルチータ。
 みんなはエプロンがあってよかったねと言うだけで、特に花柄に感想は抱いていない様子。
 そんなみんなに対して、ルチータは、昨日の船のエプロンは洗濯してしまって使えない、代わりの花柄エプロンを家族に渡された、と正直に説明する。

 ルチータは、違和感のある様子で「変だよね…」と目を逸らす。

 すると、みんなはそれぞれ「かわいいよ」、「似合っている」、などと好意的に評価する。
 その言葉に、ルチータはほっとしたのか、「僕も似合うと思ってたんだ」と気持ちを切り替えることができて、いつものように陽気に振る舞う。

 そこに、アンモさんが、ルチータと同じ花柄のエプロンを付けて登場する。
 ルチータの家族に作ってもらったのだという。
 僕たちおそろいだね、と笑い合うルチータとアンモさん。

 …という話でした。

○エプロン回に感じるチグハグさ。

 私が、エプロン回ってちょっとチグハグだな、と思うところは、

  • ルチータはアクシデントでお気に入りのエプロンが着られなくなっただけ

  • ルチータは仕方なく他人所有の花柄エプロンを借りただけ

  • ルチータは船のエプロンを着たくないわけではない

  • ルチータは花柄のエプロンを着たいと思っているわけではない

  • ルチータの「変だよね」に対して、周りが「かわいいよ」で返している

 …です。

 私は、この回を、無理矢理ジェンダーの話題を取り入れようとして方向性がこんがらがってしまった話なのだと思いました。

 最近の世間一般で言われている『ジェンダー平等』『男女平等』というのは、無意識のジェンダーバイアスを払しょくしていくことだったり、『性差に囚われない社会の仕組みづくり』という考え方や活動のことだったと思います。

 『ジェンダー平等』というと、性的少数者への配慮がよく話題になりますが、今回の話はこの多様性を取り上げた回なのかなと、個人的に受け取りました。

 しかし、『家事担当家族(女性)の所持するピンク色の花柄のエプロン』というアイテムは、ジェンダーバイアス的な観点から言えば社会的性役割として確立している『女性性表現』のフルコンボなのではないかというような気がしています。

 そのようなエプロンを身につけることに対して、『ルチータがどう思っているのか、どう気持ちが変化したのか』の部分が、ジェンダー平等の考え方と相反しているのに、解決しないまま、話の趣旨が『男の子が花柄のエプロンを着たらかわいい』に変わって、結局なんだかいい話になってしまっている、というのがこの話のこんがらがっているポイントなのだと思います。

だがじっさいかわいい…

○こんがらがっている要素を抜き出してみる

 まず、この話の前提である、

  • ルチータは胸に船のワッペンが付いた藍色のエプロンが好き

 という設定はどちらかというと『ジェンダーバイアス』ですよね。

 ただし、これは絶対に言っておきたいのですが、『ルチータが船のエプロンを身につけている自分を肯定できている様子』は、成長過程において心と体の性の同一性が保たれている事実の描写だということだと思います。
 また、それについての良し悪しは全く問題ではありません。

 そして、次の2点がネックなのだと思うのですが、

  • ルチータはアクシデントのために船のエプロンが使えなかっただけ

  • ルチータは花柄のエプロンを着たいと思ったわけではない

 これ『起承転結』の『承』の部分で迷路に突入した感がありませんか?

 この話の中で、ルチータが家族から借りた花柄のエプロンを身につける理由は『しかたがない』からです。
 『自分らしさ』とか『自分の好きなもの』とかいう『個性』とは、対極の考え方ですよね。

 一方で、話のまとめ部分で出てくる、

  • 他のみんなはルチータに「かわいいよ」「似合うよ」と言う

  • 終盤で、ルチータは花柄のエプロンを着る

 というのは、一見すると、ジェンダーフリーを目指す社会を描写しているかのように思えます。

 しかし、ルチータ自身が着たかったものが着れず、着たいと思っていなかったものを好意的に評価されるというのは、逆に『自分らしさや個性を、周囲が無視』している描写になってしまいますよね…。

 さらに、『アンモさんが花柄のエプロンを身に付けて登場する』というラストのオチは、

  • 男性が花柄のエプロンを着て褒められている

 という状態ですので、ルチータの気持ちが完全放置&迷子となり、話としてルチータの葛藤が全く解決しないままです。

 性的少数者への配慮『っぽさ』として、

  • 「僕もこのエプロン似合うと思ってたんだ」

  • 「僕たちお揃いだよね」

 というセリフを混ぜたことで、余計に、自分の気持ちを我慢したルチータが周囲の空気を読んだり忖度したりしている様子になっています。

 ですので、これらの演出を悪魔合体させて話を作ったことによって、この話は『ジェンダーバイアスを抱えたキャラクターが、仕方がないという理由で自分らしさを我慢?妥協?諦め?させられ、個性を無視されたことを、社会が好意的に評価した話』になってしまったのではないかと思えるのです。

 また、これは、私の推測なのですが、

  • ルチータは明日から船のエプロンをまた着るよね

 という点で、話の着地点が、教育的観点の出発点にもなってない気がするんですよね。

○発信者がやりたかったこととは?

 今回のエプロン回、『ルチータが花柄エプロンを着る』という話を、どういう方向に展開させたかったのかという制作側の意図を、子持ちの大人として好意的に受け取れば、確かに『ジェンダーレス社会の肯定』に見えたと思います。

 恐らくこのエプロン回を通して、制作側が子どもたちに伝えたい『多様性』というのは、『誰かに言われて自分の意に沿わぬ装いをしていても、あなた自身の本質は全く変わらないんだよ』…というなかなかに深い話だったと思うんですよね。

 ですがむしろ、『男の子は乗り物が好き』『青系が好き』『花柄を好む男性は「男らしさ」から降りている』という、ちょっと作り手側のジェンダーバイアスが透けて見えてくるかのような回でした。

 そのため、実際はあまり好意的に受け取ることができず、
 実際に言いたい事と結末がかなりかけ離れてないだろうか…?
 『好きなものを身に付けられない状態を周りから肯定される』というのは、むしろ嫌なことではないかな…?
 …という疑問を感じます。

○しっくりくるようにするには?

※既に存在している表現物に対して、勝手に演出やセリフを改変するのも大変おこがましいとは思いますが、個人の感想の範疇で『個人的にしっくりくる展開』を想像してみたいと思います。

 まず話のフックは『ルチータがピンク色の花柄のエプロンを身につける』にあると思います。

■IF①『ルチータは着たい』

 そこに、『ルチータは花柄のエプロンを着てみたい』、しかし、『いつもと違う服装という自覚があるため、みんなに何をどう言われるか分からないので不安になる話』というなら、無自覚なジェンダーバイアスへの葛藤という意味で、流れが理解しやすいと思うんですよね。

 そうすれば次の展開であるルチータの「変だよね」という個性の表現やジェンダーバイアスに対する自虐・自己否定を含んだセリフに対して、みもも・やころの「かわいいよ」「似合ってるよ」という返しは、『あなたが身につけたいと思ったものをあなたは自由に身につけてよいし、わたしたちはそれを絶対に否定しない』という信頼のメッセージになり、たいへんしっくりくると思うのです。

 もう一つ考えてみました。

■IF②『エプロンはエプロン』

 脚本通りの展開のまま『ルチータはアクシデントによりお気に入りのエプロンを着ることができず、代わりに花柄のエプロンを着ることになった』とします。

 それに対しての、みもも・やころのセリフを、『いつもと違う事をするのは変ではない』『ルチータは船のエプロンを着たかったんだね』といったような、ハプニングに対するルチータのネガティブな気持ちに寄り添うようなセリフにしたりするのはどうでしょうか。 

 『エプロンはエプロンである』や『花柄のエプロンも誰かにとっての素敵なエプロンであることには変わりない』といったセリフも加えることで、多様性押し付け社会へのアンチテーゼと考えることもできて、こちらもしっくりくるのではないかと思います。

 この2種類のIFは、終盤の『アンモさんが同種のエプロンを付けて登場する』というオチに『あなたはそう思っているけど私は違う』という意味を持たせて対比をさせることができるので、個人的にしっくりくる展開になるのではないか?と思いました。

(お目汚し大変失礼いたしました)

○おかいつだいすき。

 ただし、おかあさんといっしょは素敵な教育番組であって、親も一緒に考えたり楽しむ番組です。
 私は作り手のバイアスが見えているほうが、自分の疑問を言語化して子供と議論がしやすいと感じるので、ネット上でお話の内容を差別的だ!といって批判したい吹聴したいとは決して思っていません。

 一つのお話を抜き出して『だからおかいつはダメ』というジャッジをしたいわけでもありません。

 私は子どもが一緒に見てくれる限り『おかあさんといっしょ』を視聴しますし、人形劇シリーズにはそれぞれ色々な面白さがあります。

 今後もファンターネ!を楽しく見るために、今回はモヤモヤを吐き出すことにしてみました。


 この記事を読んでいただいてありがとうございます。
 よろしければ、当アカウントのフォロー&記事の感想をよろしくお願いします。

 それでは、また。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?