魯山人の渇き 愛なんていらねえよ 娘の談2

生まれたばかりの息子に授乳していると、父が覗き込んで言った。
「乳を飲むとき小鼻が膨らむんは、お前そっくりやな」
意外だった。
父がそんなことを言うなんて。
スズムシやコオロギを見つめるように赤ん坊の私を見ていたのだろうか。
だったら私を描いてくれてもよかったのに。
父は鳥や虫の画をよく描く。
さらさらと見る間に描きあげる画の素晴らしさを高名な小説家の先生がほめていた。
「この子を描いてよ。鳥や虫より可愛いでしょう?」
「いや、人間は美しうない」
思わず私は身震いした。
なんて寂しい人なんだろう。
父のそんな血が私にも流れているんじゃないかと思ってぞっとした。
決意してこの子を産んだはずなのに、私は育児から逃げ出したくてたまらなかった。
息子は一晩中泣いているし、おっぱいをあげるたびに乳首がちぎれるほど痛くて、思わず息子を叩いてしまった。
私は怖くなって、離婚後一人で暮らしていた母に息子を預けた。
母は息子を可愛がり、子育てのやり方を私に教えようとした。
だけど私は逃げ出したかった。何もかも放り出して自由になりたかった。
宝塚歌劇を見に行った夜、私は友達の部屋に泊めてもらい、そのまま母の家には帰らなかった。
息子のためだと思った。
本気でそう思っていた。
身軽になった私は遊ぶお金欲しさに、たびたび父の家から食器や美術品を持ち出した。
父は見て見ぬ振りをしているように見えたが、私が子供を手放したと知って激怒した。
「それでも母親か!」
父は鬼のような形相で、私の顔を何度も殴った。
「鬼!」
私は顔をかばいながら叫んだ。
「鬼が子供なんか作るんじゃねえ!」
「そうや、ワシは鬼や。生まれた時から、ずっと鬼や!」
乳飲み子のとき、母親に捨てられてから、養家をたらい回しにされ辛酸をなめつくした父の叫びだった。                         

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