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3月5日、あの日から数ヶ月

普通に暮らす中で戦争の話題やそういう戦争ものの創作に触れると、ふと思い出してツキッと心が痛むことがありました。
ここ最近は思い出すことが増えていました。

noteを始めたばかりの頃、「今日は何の日(ふっふー)」的な記事を書くことがありました。そのうちの一つの記事でアンネ・フランクについて書いたことがありました。

昨年の8月に書いたこの記事は、
「8月1日が、アンネの日記の最後の日付ですよ」
という話でした。

彼女の悲惨な最期をご存知の方は多いでしょう。
改めて簡単に彼女の辛い部分だけを紹介します。

普通の充実した環境の娘さんが、唐突に隠れて暮らす存在となり逮捕され、収容所で人の扱いを受けず15歳でひどい環境で亡くなるのです。

明確な命日は分かりません。そこまで記録することすらしていなかったのでしょう。フランク姉妹は2月後半〜3月の間に亡くなった。としか分かっていません。

そのなかで有力視されてる一つの命日予想
それが今日3月5日とのことです。

悲惨な亡くなり方をした人はたくさんいたでしょうが、
やはりこの家族の運命は特に戦争の悲惨さを後世に知らしめる代表となっています。

8月1日から7ヶ月と少し。
普段の相変わらずな生活の中でふと思い出すのです。

「ああ、まだあの子は収容所で生きてるんだ」
「ああ、あの子たちはレストランの食事を思い出して泣いたかもしれない」
「ああ、あの子は寒くても暖をとれない夜を過ごしたんだ」

私は8月から3月まで当たり前に生活していました。
ダラダラしたり、クヨクヨしたり
大笑いしたり、お腹が空いたらご飯を食べてお風呂に入って布団で寝ました。
あっという間の年末年始も、幸せだったからこそあっという間だった。

そして、今日の日を迎えて
「あの子はようやく天国に行けたのか。なんて長い7ヶ月だろう!」と何故か安堵してしまいました。
少し肩の荷が降りたような気持ちです。

もちろん、生きたかったかもしれません。
それでも「屈辱的な生活を余儀なくされた少女が、苦しみからやっと解放された」いう風にしか受け止められないのです。

まさかの事態に晒され、テレビでは連日辛い現実がリアルタイムで放送されています。
文字媒体ですらない、
あまりにスピーディーに鮮明に届く記録。それは逆に非現実的に思われ、とても認めがたい。

これが本当に今実際に起きていることなのか?
嘘だろう?
目を逸らしたくなります。

日記という媒体で、時間差で戦争の恐怖を学んだ私たち。映像媒体で時差なく届く恐怖からいったい何を学び行動すれば良いのでしょうか。

私に何ができるだろう?

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