どんな私でも信じてくれて、愛し続けてくれている
こんにちは、読みにきてくださりありがとうございます。
(タイトルのみ変更)
15歳から精神科に通院することとなりました。当時の私は生活リズムなんて狂っていて「もう嫌ー!」「死にたい!!」と叫んだり、大泣きしたり、心が痛くて耐えられなくなるとカッターで腕を切っていました。体が傷つけば心の痛みを忘れられる、心には傷もつかないはずだ、その思いでした。
部屋もカーテンを締め切って真っ暗闇。でも寝ることは出来ず意味なく小さな部屋をグルグル歩いたり体を小さく抱えるように丸まっていました。
そんな私を支えてくれた家族。家族は愛音はきっと治る、今すぐではないけれどまた笑顔になってくれると信じてくれていました。
中でも母は私に今は苦しいけれど日々変化があると教えてくれました。「おはようを言ってくれてありがとう」「辛くても頑張ってご飯食べられてよかった」「前髪ヘアピンで留めて可愛いよ」
言われた当時は母の気持ちを100%すべて受けとめられなかったけれど、今思い返すとすべて私へ「生きる自信」を与えてくれる言葉たちでした。
しかし、その母はもういません
私が成人を迎えた年に病気で亡くなりました
母は体の病気と5年間闘いましたが、治ることなく天国へと旅立ちました
それから数年経ったときに、母が今の私を見てどう感じてくれるのかをふと考えました。
きっとめそめそ泣いてる姿なんて望んでない。そろそろ前を向いて人生歩いて欲しいはず。
それに母は死にたいとギャーギャー言っていた私にこう言いました。
「悪いけどお母さんは生きるよ。死ぬ死ぬ言ってる娘残して死ねるわけないでしょ」
母は私の何倍、何百倍も生きていたい、病気を治すんだと闘っていました。その母の娘である私にほんの少しでもその力があるのなら…
不登校児で引きこもりだった少女は今では前を向いて、夢だったピアサポーターとして少しずつ活動し、毎日しっかり心臓を動かし生きている。
私は1人で生きてるんじゃない。
この命の半分は母のものと思っています。
いつまでも一緒、私が深い深い闇から這い上がったのも母の「今すぐではないけれど、いつか笑顔になってくれる」と信じてくれたからこそ。
お母さん、愛音は今日も生きています
立派なことはしてないかもしれないけど
1日生きることをもう投げやりにしたりしない
助けてくれて
支えてくれて
愛して続けてくれて
ーありがとうー
*愛音*
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