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自分の記憶を信じられない、という人はいるんです

こんにちは。今回は私の病気についてお話ししたいと思います。それは強迫症障害です。これにも様々なパターンがあるようですが、私が未だに悩まされているのが「確認行動」です。
きっと読んでいる皆さんのなかでも「あれ?家の鍵しめたかな」と思ったり「忘れ物してないよね」とチェックするのはほとんどの方が思ったり、やったりしていることです。

ただ私の場合はちょっと違います。

玄関の鍵をしめたことを記憶にしっかり刻まないとしめたかどうか、不安でたまらなくなり引き返して玄関ドアを確かめます。
持ち物チェックも家を出る前に仕事用のエプロンと帽子、シャツがあるか確認します。これで終わりではなく、近くのバス停に着くともう一度持ち物チェックをしています。そして駅のホームでもまた確認。

鍵の時二つの感情があるんです

「鍵しめたよ、大丈夫」
「鍵をしめた記憶は嘘かもしれない…確かめないと!」

心で大丈夫と言っても記憶を信じることが出来ません。自分の記憶を信じることも出来ないのです。
「この記憶は嘘かもしれない、だってはっきりと鍵をしめた映像が記憶にない…」
毎朝鍵をしめたかどうかは記憶に残すようにします。
「上の鍵ガチャガチャ、しめた。下の鍵ガチャガチャ、しめた」このように心で唱えて、鍵をしめている手の動きもしっかり見ないと記憶を信じられません。

同じ作業所に通所している人の中にも、確認行動で悩まされている人はいます。それを職員はまたか、、という感じで注意する人もいれば、一緒に確認する職員もいます。
私はその人の気持ちが少し分かります。いくら確認して大丈夫だと職員が言っても本人が納得して、なにより安心しないと次の行動が出来ない。自分のことを信じられないのは本当に辛いし、生活にも支障が、、、

私の強迫症障害に終わりが来るのか分かりません。鍵のチェックは未だにしつこいくらいしないと安心して仕事へ行けませんし、持ち物チェックも何度しても不安がゼロになることはない。
一度確認したらもういいじゃないか、と思われるでしょうが、そんなに簡単ではないのです。記憶が嘘をついている可能性がある、自分の行動を信じられない、強迫症障害は簡単ではない。だから苦しいのです。そして私が思うに一番理解してほしいのは自分自身。
「チェックしたよ、大丈夫」「忘れ物はない、さあ行こう!」
この言葉が、感情が、受け入れる自分に私はなりたいです。

最後まで読んでくださりありがとうございました。

*愛音*

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