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あれから10年。


早いもので、あれから10年。
今日は、多くの人にも習って、
10年前の東日本大震災のことを
語ろうと思います。
石田愛奈です。


当時の自分は、大学2年生。
今でも鮮明に覚えています。
春休みのメディア(図書館みたいなとこ)、
あと数週間で、大好きな先輩たちが卒業。
追いコンで渡すビデオ編集を
慣れないながらにサークルの同期と
人のいない大学キャンパスにいました。



ー14:46


その瞬間は、慣れない中
ファイナルカットを使っていました。


ずどん。とした、揺れ。
もともと地震に対して
楽観的な私は、
あ、地震だぐらいにしか思いませんでした。
横にいた友人は結構なビビリ顔。


揺れが落ち着いたあと、
2階に行っていると、
図書館にある本が全部
本棚から落ちて本の海。
そんな状況を目にしたことがないから
不謹慎にも、すごーー!!!
と、非日常的な状況に
テンションがあがったのを覚えています。


そんな感情も、数十分後に消え去りました。
まず、運動場に移動するように言われます。
大学の事務員さんに、
早急に家に帰るように言われました。
追いコンまで日にちがなかった私たちは
渋々な気持ちで帰宅しました。

友人の家で見たニュースから
衝撃を受けます。
津波の映像。
日本国内様々な地での悲惨な状況。
東京が東京じゃないように思いました。


当時、みんなtwitterを使っていて
すぐに、互いの情報を共有しあう
ツイートでタイムラインがいっぱいになります。


「徒歩で帰宅しているみなさん、白線の上を歩くと
コンクリートから得る足の負担は減るよ」


「自分は無事です。いろいろあるけど、
お互い強く心を持とう。みんな一人じゃない」


様々な言葉が飛び交いました。


友人が、すぐになにかできることはないかと、
地震がおきてから3日くらいで #Prayforjapan
ハッシュタグのブームメントを作りました。

当時、私の友人、鶴田浩之(通称:もっち)が、
twitterに対して、行ったアクションは、
最終的に、書籍化にまで至りました。



曲を作ってyoutubeにあげている
シンガーソングライターの友人もいました。

この友人は、後に、
プロデビューもしています。
(今はもう引退しています)


想い想いのアクションをしていたあのときから10年。
当時の私は、何もできなかった。
計画停電が1日になぜか2回エリアで。
その生活を乗り越えることで精一杯。

でも、社会人になって、
3.11の話が出た時に、
現地に行ってボランティアすることもできる。
でも、仕事に勤しんで、勤しんで勤しんで、
自分が現地に行くこと以上に、
大きな影響を与える支援をすることもできる。
と、大尊敬するメンターに
言われた時にハッとしました。


考え方はまちまちですが、
当時のリアルは、
被災している人からしてみると、
1人の人員よりも、1個のトイレットペーパー。
そんな風潮でした。


その時に、多くの物資を
定期的に与えられること。
そのことの偉大さを感じ取りました。


リアルに求められているものを
提供できるビジネスマン。
あのとき気づいた時から、
自分の軸のひとつです。


今日は、多くの方々に
ご冥福をお祈りします。
私は私にできることをしっかりやります。



今日もワクワクな1日を*
*ainitch*
石田愛奈/Aina Ishida

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