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Nahuel Note #065 "Persischstunden" 〈Gilles〉(2020)

『ペルシャン・レッスン(Persischstunden)』
ドイツ、ロシア、ベラルーシ、2020年、127分

公開日:2020年2月22日 (ベルリン国際映画祭にて初公開)、2020年8月29日(中国)、2020年9月24日(ドイツ)、2021年2月8日(USA)、2022年11月11日(日本)他
撮影:2018年11月7日〜2019年1月20日の33日間、ミンスク(ベラルーシ)にて
言語:ドイツ語、フランス語、イタリア語

監督:Vadim Perelman
脚本:Ilya Zofin
原案:Wolfgang Kohlhaase "Erfindung einer Sprache"
出演:Nahuel Pérez Biscayart …Gilles
Lars Eidinger…Klaus Koch
Jonas Nay…Max Beyer
Leonie Benesch…Elsa
Luisa-Celine Gaffron…Jana
Lola Bessis…Melanie
Nico Ehrenteit… Obersturmführer Krupp(親衛隊SS中尉)
Ingo Hülsmann… Sturmbannführer Farber(親衛隊SS少佐)
Giuseppe Schillaci… Marco
David Schütter… Paul
Felix von Bredow… Untersturmführer Siemens(親衛隊SS少尉)
Alexander Beyer… Lagerkommandant(強制収容所最高司令官)
Marcus Calvin… Investigator(捜査官)

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受賞

2020年 バリャドリッド国際映画祭(スペイン)最優秀編集賞
2020年 Transatlantyk Festival(ポーランド)最優秀作品賞
2021年 Moscow Jewish Film Festival(ロシア)最優秀ロシアユダヤ映画賞
2021年 Film by the Sea International Film Festival(オランダ)最優秀映画化賞
2021年 East-West: Golden Arch International Film Awards
最優秀主演賞(Nahuel Pérez Biscayart)、最優秀助演賞(Lars Eidinger)
*第93回アカデミー賞にベラルーシ代表の外国語映画賞に選出されるも、規定にそぐわず、除外された。→Variery

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Trailers
日本版
ドイツ版
英語版
フランス版
イタリア版
スペイン版
ロシア版
中国版

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Interviews and articles

・2020年ベルリン国際映画祭のアーカイブ
・↑ Pressekonferenz
・2020/2/23 Berliner Zeitung
・2020/2/27 filmpluskritik2 
・2020/3/7 Filmverliebt
・2020/9 Ray: Lars Eidingerインタビュー
・2020/9/18 Männer: Nahuel インタビュー
・2020/9/21 Spätvorstellung: Nahuel インタビュー
・2020/9/24 Der postmondän: Lars Eidingerインタビュー
・2021/1/30 HeyGuys: Lars Eidingerインタビュー
Nahuel Note #000_06 インタビュー on “週末畫報” (Modern Weekly) 英訳

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概要

原案とされているのは、東ドイツ時代から映画脚本家として活躍したWolfgang Kohlhaase(1931-2022)が実話にインスパイアされて執筆した短編小説「Erfindung einer Sprache (ある言語の発明)」(1977)。こちらは1944年4月、強制収容所のストラート(オランダ出身)が、調理担当カポ(囚人看守)のバッテンバッハにペルシャ語を教える、という設定。
映画の舞台は1942年の寒い時期のフランス。アントワープ(ベルギー)のラビ(ユダヤ教の司祭)の息子ジルが、スイスへ逃亡する途中でナチス親衛隊(SS)に捕まり、森の中で射殺されそうになるが、その直前、移送トラックの中で乗り合わせた男性から頼まれ、手持ちのサンドウィッチと交換で得たペルシャ語の本(Mythes de la perse)を証拠に、自分はユダヤ人ではなく、ペルシャ人だと偽りの主張する。ちょうど親衛隊大尉のコッホ(Koch=ドイツの一般的な名前だが、ドイツ語では「コック」の意味でもある)がペルシャ語を学びたいのでペルシャ人がいたら連れてくるよう言っていたことを1人の隊員が思い出し、ジルをコッホの勤務する強制収容所へ連れて行く…。

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1. 1942年フランス

 1940年、フランスはドイツ軍の侵攻に敗北し、国土の半分以上がドイツ軍占領下に置かれた。共和国政府の代わりに誕生したヴィシー政府がドイツの傀儡政権となったため、ユダヤ人問題の最終的解決、すなわち絶滅政策について話し合われた1942年1月のヴァンゼー会議以降、フランスでもジェノサイドは加速し、7月にはフランス全土でユダヤ人の一斉検挙が行われている。ベルギーも同様に1940年よりナチスドイツの支配下となっていた。
 フランスで稼働していたナチスの強制収容所は、元々はフランスが戦前から難民や共産主義者収容のためなどに使っていた建物が多く、ドランシー強制収容所(パリ近郊)などのように数日だけ滞在して絶滅収容所へ送られる通過収容所もあったが、この映画がモデルとしているナッツヴァイラー強制収容所(アルザス地方)は、建築資材となる花崗岩の採石場に近く、囚人は強制労働者として採掘作業に従事させられた。
 これらの強制収容所はナチスの親衛隊(Schutzstaffel)、通称SSによって管理されていた。1933年以降、SSは警察組織と一体化し、ヨーロッパ全土でユダヤ人絶滅政策を実行した。映画の中でラース・アイディンガー演じるSSの大尉コッホは、非常に貧しい家の出身で、料理人として働いていたものの、たまたま道で楽しそうにタバコを吹かす茶色い制服を着たSSたちを見かけたことをきっかけに自分も志願したと語っていたように、当時のドイツの若者にとって、SSやナチス党に入ることは、苦しい現実から抜け出し、意味ある人生を送る未来につながっていた。一方、コッホの兄は1939年にギリシャへ渡り、音信不通となり、1年前に今はテヘランにいると分かったと語られていたように、ナチスドイツから「脱出」したようだ。1941年、ギリシャはドイツに侵攻されたが、イランの方はイギリスとソビエトが侵攻しており、兄の行動はナチスドイツからの逃亡の道筋に思われる。共産主義や同性愛、精神病患など、ナチスの迫害の対象となる理由があったのかもしれないが、クラウスは多くは語っていない。


2. 嘘と盗み

 映画の冒頭、トラックで輸送されるジルは、乗り合わせた男に何か食べ物を持っていないかと尋ねられ、サンドウィッチと引き換えに、とても価値があるというペルシャ語の本を入手する。男はこの本を家主が国外に逃亡した家からもらってきたと説明する。隣にいた老人は、それは盗みだし、盗みは罪だと口を挟み、ジルも十戒の教えだと口添えるが、男は「今はしょうがない」と返す。
 収容所についたジルはSSの大尉、コッホに面会し、成り行き上、自分はペルシャ人であると主張し続ける。コッホはそれを一旦信じるとし、自分は「嘘と盗み」が最も嫌いだと念を押す。ペルシャ語レッスンの初期、習いたい単語リストに、もう一つ足すよう言われたコッホは、「真実(Wahrheit)」と書き足した。ナチス政権下、ドイツでは困窮の原因はドイツに寄生して「嘘と盗み」で成り上がったユダヤ人にあると信じられていただろう。一方ドイツ人はその逆の高貴な民族でいなくてはならない。本作中、ナチスの隊員たちは過度に「清潔」を重んじ、「真実」を利用して他人を貶めており、コッホも「信じる」ことによって、物事を真実であると見なす人物あり続けた。となると、ジルが行ったことは、やはり「嘘と盗み」だ。しかしそれは悪なのか?
 本作に出てくる収容所のゲートに書かれていた文字は「Jedem das Seine(各人に各人のものを)」。アウシュビッツのなどのゲートに書かれていた「Arbeit macht frei(働けば自由になる)」が有名だが、この「Jedem das Seine」もブッヘンヴァルトなど、多くの強制収容所に掲げられていた。元々は「分相応」という意味だが、財産を取り上げられ、名前を奪われ、代わりに番号と労働義務だけが与えられる強制収容所では、その存在自体が極限にまで縮小され、最終的には抹消されてしまう。誰もが自分のもの、自分の命の存続に集中せざるを得なくなる中で、他人を思いやったというエピソードが「失われなかった人間性」の美談として伝え残されるような場である。
 そんなモットーを掲げた収容所で、ジルが行ったのは収容者から名前を「盗み」、それを単語に作り変えてペルシャ語だと「嘘」をつくことだった。収容者たちは収監時に番号に変換され、労働力として管理され、不要になった時は線一本で消されるだけの存在となるが、その名前はジルによって言葉に変換されて生き返り、図らずも犠牲者たちのアーカイブとなっていく。名前とは「Jedem das Seine(各人に各人のものを)」の標語と符号するように、人間社会において、その存在が認められた証である。映画『天国でまた会おう』では、第一次世界大戦で息子を失った(と思っている)主人公の父は、失われた命を追悼するための「戦没者追悼記念碑」に、戦死者の名前を1人残らず記すことに固執していた。


3. 詩と野蛮

 人工言語の創造も、古代語の復活もいくつか実例が挙げられるが、言語は話者が一人では生まれ得ない。伝える相手が必須である。ジルは人称代名詞の「私」を自分の名前Gillesから「il」に、「あなた」をコッホの名前Klausから「aus」に設定する。「固有名前」と異なり、「代名詞」は発話者によって入れ替わるが、ここには映画『君の名前で僕を呼んで』のようなロマンチックさは皮肉としてしか存在しない。言語はそれを理解する者と理解しない者で、世界を自他に分けていく。イタリアの小説家、トンマーゾ・ランドルフィによる短編「無限大体系対話」は、偽のペルシャ語を学んでしまった男が、唯一それが通じる相手を失い、その言語で書いた詩の素晴らしさを誰にも伝えられないという物語であるが、本作ではユダヤ人に笑われたくないと強く思っているコッホが、それが通じる唯一の相手に「偽ペルシャ語で詩を書いて読み上げる」シーンは美しくも哀れの極地である。言語創作自体に策略や意図があるわけではないジルは、詩の朗読に驚きつつ、ただ受け流し、近くに置かれた食事の方ばかりを気にする。最後に森で別れる場面でコッホがジルに言う別れの言葉も偽ペルシャ語であり、ドイツ語・英語版DVDではそれぞれ「Ani Gœlj ! (Schönes Leben! / Good Life !)」と字幕が付いているが、ジルはこれにも何も応えない。
 監督のインタビューによると、この映画の偽ペルシャ語は言語学者の協力を得て、ドイツ人が「東洋的」だと感じる二重母音や破擦音を交えながら、中国語の文法を借りて作成したのだそうだ。映画の設定から見ると、ジルはドイツ語も話すが、フランス語を母語としており、アントワープ出身ということで当然フラマン語(オランダ語)も理解するだろう。そして父親がユダヤ教のラビということで、ヘブライ語の知識もある程度持っていると思われ、これが彼の作るペルシャ語の「東洋っぽさ」の鍵かもしれない。「母親」はペルシャ語でなんという?と聞かれた時に咄嗟に彼は「anta」と答えるが、実はこの「anta」とは、ヘブライ語で二人称男性「あなた」を示す「ata」の音に近く、さらに同じくセム語系のアムハラ語でも「あなた(男性)」は「ante」であることを思い出すと、偽ペルシャ語の東洋的響きは妙に説得力がある。日本語とも近い。
 しかし、そもそもこの偽ペルシャ語の元になっているのは、「ユダヤ人の名前」であり、そこにはすでにヘブライ語の響きと、ドイツ語との接触で生まれたイディッシュ語の響き、その他、各地の文化と交わって生まれた要素が備わっているのだ。コッホ自身は気づいていないし、またジルも意図した訳ではなかったけれど、コッホは、間接的であれ自分たちが殺した大勢のユダヤ人の名前を使って美しい詩を作ったという設定のグロテスクさこそが、この映画最大のメッセージではないだろうか。

「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である。そしてそのことがまた、今日詩を書くことが不可能になった理由を言い渡す認識をも侵食する。」

「文化批判と社会」、『プリズメン−文化批判と社会』テオドール・W・アドルノ 著、渡辺祐邦/三原弟平 訳、ちくま学芸文庫、1996年、36頁

 アドルノが「文化批判」のために書いたこのフレーズを思い出すとき、それはただ殺人者であるコッホが美しい言葉や詩を愛する心を持っていたこと、また収容所所長が部屋にベックマンの絵を飾りながらドビュッシーを聞いていたこと、そうした芸術性と野蛮の共存可能性だけを批判しているのではないことに注意しなくてはならない。なぜ今もナチスや強制収容所、戦争をテーマにした映画が作られるのか?アウシュビッツの映画化は野蛮ではないのか…?ベルリン国際映画祭プレミア上映、記者会見の席でコッホを演じたラース・アイディンガーが流した涙は、これまでに何度もナチスの制服を着て演じてこなくてはならなかった、そしてこれからも演じることを覚悟しているドイツ人俳優の真摯なものだった。


 
 プレミア上映から3年近く経ってようやく公開された『ペルシャン・レッスン』。とはいえ、どういうわけか、2022年12月4日現在、日本で7館でしか上映されていなかったり、予告の字幕が間違っていたり、パンフレットの写真が間違っていたり、腑に落ちないことが多々あるけれど、まだまだ本作については日本語では語られてないので、パンフレットに寄稿したつもりで書いてみました。原作も今、日本語訳を作っているので、また近日中にアップします!

追記)12/19 原作小説の翻訳をアップしました。
Nahuel Note #000_07 「ある言語の発明」

フェルメールやブリューゲルなどの絵画を思い出す美しい遠景が多い。


参考文献:
『ホロコーストのフランスー歴史と記憶』渡辺和行 著、人文書院、1998年
『ナチ強制収容所における監禁制度』ニコラ・ベルトラン/ステファン・エセル 著、吉田恒雄 訳、白水社、2017年
『夜と霧 新版』ヴィクトール・E・フランクル 著、池田香代子 訳、みすず書房、2002年
『カフカの父親』トンマーゾ・ランドルフィ 著、米川良夫/和田忠彦/柱本元彦 訳、国書刊行会、1996年
『プリズメン−文化批判と社会』テオドール・W・アドルノ 著、渡辺祐邦/三原弟平 訳、ちくま学芸文庫、1996年
Wolfgang Kohlhaase "Erfindung einer Sprache und andere Erzählungen", Wagenbach, 2021