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御三家のタイプ一致技がデフォルト装備かどうかの違い

もしぼくが今大学1年生だったら、どんな人に出会っていたのだろうか。

7年という時間は、長いようだがとても短く感じられた。大学に入学した2011年、入学前は東日本大震災、入学してからはスティーブ・ジョブズの訃報とあったはずだが、これらの出来事はつい最近のように思える。

7年前の今は何をしてたのだろう、思いつくもので、学祭委員で準備に追われていた記憶が鮮明に残っている。

今年度に入って、7歳下の子たちに会うことが増えてきた。つまり、大学1年生の世代だ。会う場所が企画の運営だったり、勉強会だったりするから、真面目な子が多いのは確かだ。

あのとき、ぼくはどれだけの人に、それも学外の人には会ってきたのか。

答えはノーだ。ずっと部室にいて、部室民て呼ばれてた。そもそも学外の大人に会う機会って、よっぽどなかった気がする。インターンシップってあったか?いや、ビラ配りしてた人なら見たけれど。Twitter?全くやっていなかった。まだガラケー全盛期だ。Facebook?「友だち」は中高の同級生と当時の先生ばかりで、半分同窓会みたいな感じになっていた。それにパソコンでしか見ていない。

早いうちから大人に会った方がいいとかそういうのは抜きに、環境が変わっていることはまぎれも無い事実だ。やろうと思えば気になる人にリプライを送れる(返事が来るとは言ってない)。他の人に見られるのが嫌ならDMだって送れる(見てくれるとは言ってない)。

かつて学生団体をやってた時に、地元の高校生とコメダで会って話したことがある。その縁から、その子がやってることについて相談を受けることもあった(奇しくも、その子も7歳差だ)。

昨日、ある企画のことでミーティングをやってた時に、ぼくの同い年の社会人と、7歳差のインターンの子が、今後どうするか、ということで互いに真剣に向き合っていた。そこは誰も口出しできないような、それはまるでタイトル戦のような、張り詰めた空気が部屋を支配していた。

高いレベルのものを見ると、過去にやってきたことがすごくちっぽけに見える。昨日のも例外じゃない。あの時、期待に応えられていただろうか。あれでよかったんだろうか。でも、少しでも力になれたら、自身でやりたいことに近づけられるなら、と思っていたのは間違いではない。

ifストーリーは考えたらきりがないから、あんまり考えたくないし、答えも任意の実数解だ。だけれど、「ぼくが今の大学1年生だったら」と聞かれたら、人に会うかどうかは別として、きっとTwitterに入り浸ってはレベルの高い人の真似をしてくんじゃないかな。そして、巡り巡って、結果論として誰かに会うのだろう。

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