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44|そこにいるのが私でなきゃいけない理由

来年度クラリネットの人数が足りないので、フルートパートから出してくれないかという話をされた。

それは、これまでバトミントンをやってた人に、テニスに転向してくれと言うのと同じようなもの。

将棋をしてきた人に、オセロをやれというようなもの。

楽器を変えるというのは、めちゃくちゃ大変。
「吹奏楽」という共通の基礎知識が蓄えられたといえ、技術自体は中一からやり直すような感じ。

簡単に返事ができるものでは無い。

とはいえ、このままじゃ音楽が成り立たない。
どうにかしなきゃいけない。


私はフルートひとすじでここまで来た。

8年。

吹奏楽に出会って、フルートに一目惚れして、この銀色に輝く横笛と美しく可愛らしい音を、ひたすらに愛してきた。

でもほんの少し、クラリネットをやってみたい気持ちもある。ただの好奇心。
新しいことを始めてみたい。大学2年にして。

ちょこっとだけ心のやわい部分を見せるなら、私がそれで役に立つのなら。という気持ちもある。


私がここにいる意味を見いだせるのであれば。

だって、私は。


ここまで8年、ある程度の努力もしてきた、と思う。へっぽこなりに大学まで続けてきた。

でも、どうしても私は、
「あの子上手いよね!」とは言われない。

今一緒に吹いている同期は、センスと努力ともに天才である。ひとことで言うなら、フルートにに“向いている”子だと思う。

そんな彼にクラリネットをやらせるのは、
“勿体ない“ と先輩が言った。

こんなにもフルートが上手なんだから、続けた方が本人のためも全体のバランスのためにも、良いのではないかと。

だから 勿体ない と言ったのだった。


大人数の吹奏楽だからこそ思う、私がいる意味。

私は、 勿体ない なんて言われない。

私に辞めるべきだと言う人はいないけれど、いるべきだ、いなきゃ困ると言う人も、多分いない。

8年目のフルートよりも、始めて数ヶ月のクラリネットの方が求められるんだろうか、本当に?

うん、と言われたら私はどうするんだろうか。笑っちゃうな。

私がここにいる意味。
それが私でなきゃいけない理由。

それは、いつになったら見つかるだろう。
どこに行ったら見つかるだろう。

がんばれば、見つかるのかな。

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