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noteを彷徨うとき

 noteをはじめようと思ったことも、
書こう、残そう、と思ったきっかけも、
2020年4月になってからだ。

 noteの存在は、数年前から知っていたのに、
いままで足を踏み入れてこなかった世界だった。
 数年前に、此処とは違うブログを
少しの間だけ、残したこともあった。 
 
でもそれは、全て削除してしまった。
 
そのことを、少し後ろめたくも思い、
少し勿体なくも思い、少し後悔している。
 
いつか、誰かに、リセット癖は、治したほうがいい。
と言われたことがある。
いつか、何かが、受け入れられなくなるとき、
無かったことにしようと、また、
何かから逃れようとしたり、姿を眩ませたり、
 
そうして、自己を守ることもあるのだけれど、
 
自分を自分と捉えなくなり、解離してしまうことに
つながらないために。
 
なんて、密やかに訳をつけて
noteを彷徨うことにした。

そんな思いを抱えて、飛び込んだ。
noteは、思ったよりも、苦しくなかった。

2020年4月は、
自分自身と向き合う時間にも適している。
そして、
noteを彷徨うとき、
どこか寂しさを抱えてやってくるのだけど
たくさんの価値観に出会って、
たくさんの人、言葉、物語、風景、写真が
存在することに安心して、
そして何よりも、
自分自身がそこに含まれているということを
確認するかのように、
外の世界とのつながりを、人を求めて、
彷徨いにきているのだと、感じている。

そして、noteは、
誰からも、知らないれたくない気持ちと
誰かから、知っておいてほしいという気持ちと
2つが、うまく溶け合い
プラスにもマイナスにもならない。
そんな静寂を求めて彷徨える空間のようだと
感じはじめている。

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