見出し画像

夏休みの男の子

雨の合間の晴れた日の気候が30度を超えるようになると、梅雨明け宣言に越されまいと毎年連絡をしてくる男の子がいる。

「夏だね!」という毎年恒例のフレーズに続く言葉は、「あいちゃんの誕生日会をしよう」だったり、「日本に帰国したよ」だったり、「昔よく行ってた店が閉店するから行こう」だったり。
「飲みに行こうか」につながる適当な言葉をつないで、飲みに行く。

彼は、私の長い長い夏休みを共に過ごした友だち。

***

家の近くに住む友人たちと共に、毎晩通った飲み屋の店長が彼だ。

彼とそこに集う仲間たち。いろんな話をしたりしなかったり、飲んだり、酔っ払ったり、「微笑みの爆弾」を歌ったりしながら約4年の時を過ごした。
そこにいけばいつも誰かがいた。

お金がないときは誰かの金宮を飲み、お金が入れば金宮のボトルを入れたり、いい日本酒を頼んだ。

明日のことも気にせず朝まではしゃいで、タバコと酒のにおいをまといながら、朝日の眩しさに高揚感と背徳感を感じた。
夏の朝8時の光は思っている以上に本気だと知ったのもあの夏だった。

ずるずると続く日々は、永遠に続くような気がした子どもの頃の夏休みのようだったし、そこに横たわっているいつか終わるという予感と、終わった後への漠然とした不安までも幼い頃に経験した感情と同じだった。


誰かが結婚すると夏休みを終え、
誰かが新しいことに挑戦すると夏休みを去り、
誰かが静かに夏休みと距離を取る。

夏休みが終わる恐怖に苛まれ、私は4年に及ぶ夏休みをうまく終わらせられないままその街を出た。

2014年の夏の終わりのこと。

***

「あの頃って青春だったよね。長い夏休みみたいな毎日だった」。

この夏の飲み会で、彼はそうつぶやいた。

一緒いた時間を思い出すとき、そこには春夏秋冬があったはずなのに、なぜか夏だったような気がするのはなぜだろう。

あの夏のように、朝日の眩しさを感じるまではしゃぎ倒すことはなくなったけれど、毎年夏になると、乾杯をして、夏が来るまでの話をし、この夏の計画をし、あの夏を懐かしんだりしながら、結局飲み明かす。

夏休み同様に終わってしまえば日常に流されてしまう程度の浮かれた日々の記憶を呼び起こしながら、あの頃のようにジョッキをぶつけ合い、金宮を開け、最終的にはどうして集まったのかわからないメンバーと共に缶ビール片手にへろへろのスキップでダンスする。

今年も彼の掛け声で無事に夏がはじまり、そしてその夏が終わろうとしている。
今はもう夏が終わるのもこわくはない。

#あの夏に乾杯 #夏 #日記 #エッセイ #思い出

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?