君を忘れて変わっていく僕を許して

木綿のハンカチーフって歌が好きだ。

私は地域密着型のちいさな個人経営のバーでバイトをしているのだけど、そこに来るお客さんはみんな5060よろこんで!みたいなおじいちゃんばかりなので、古い歌を歌うと「良く知ってるね!」と喜んでくれる。

有名な歌だし、最近は橋本愛ちゃんがカバーしていたから、知っている方も多いと思うのだけど、二人の目線で進んでいって、しっかりとすれ違いがわかるストーリー性のある歌詞が面白い。

男の子は都会で華やかな世界に慣れて、どんどんイケイケになっていく。カッコイイスーツ着た僕の写真見てよ!流行りの贈り物も、指輪もあげるよ、って言ってるのに、女の子は全部「いいえ」で答える。

そばにいてくれることが何よりも大切で、前のままのあなたが好きだったと。

木綿のハンカチーフの女の子はずっと動けないままで、男の子はずっと更新を続けている。

あの人変わっちゃったな、って思うことって大いにあるけど、環境が変われば人間変わってしまうものだし、私も今思っている感情が10年後、20年後ずっと同じかと思うとそうではない。

私がどんどん変わっていって、その過程、またはそのごく一部を愛してくれた人がいたとして、私が変わっていってしまったら、私も木綿のハンカチーフをねだられるのだろうか。

どこが変わらなかったら、私なのだろう?っていうRADWIMPSみたいな考えになってしまって、堂々巡りである。

好きであることや愛することは、更新し続けることで、webサイトのようだ。

昔の好きだった部分もしっかりと好きのままで、変わっていった部分も新しく好きになることが大切だなあとも思うけど、そばにいなきゃ更新もそばで見られないものね。星のダイヤも海に眠る真珠もあなたのキスほどきらめくはずないものね。

単純接触の原理で、顔を合わせる回数が多いほど好意を抱きやすいんだから、人間はよくできている。

好きな人がそばにいることも、好きを更新し続けられることも、大変に幸せなことだが、私にはまだ、遠い世界のように思える。



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